尾崎喜八詩碑 墓 鎌倉市山ノ内、明月院
詩『回顧』は数々の苦難を踏破し、山の詩人として名を残した喜八の晩年を飾るに相応しい一編で、私の愛しょう詩である。私は何時ものように蹲踞して手を合わせ、碑文を静かに読む。
境内を渡る心地よい谷戸の風に身を任せて、この明月院の奥の谷戸で、鎌倉の山の音を聞き、詩と音楽に囲まれ幸せな晩年を過ごした詩人を偲んだ。 風は尾崎喜八を巡る旅の数々を運んできた。 (平成5ねん第一回、以後多数回訪碑)
回 顧
いたるところに歌があった。
いくたの優しいまなざしがあり、
いくつの高貴な心があった。
こうして富まされたその晩年を
在りし日への愛と感謝と郷愁で
装うことのできる魂は幸いだ。
次の『上高地紀行』では
釜トンネルのくらやみを抜けると別世界が待っていた。 雲ひとつ無い青空のしたに、3000m級の明神、前穂、奥穂、西穂と穂高の連峰がずらりと勢揃いして、喜八が『世にも美しく男らしい谷間』と表現した氷河期の遺産,岳沢カールが裾野を広げていた。
ここでは誰もが息を呑む。メモしてきた喜八の詩『上高地の朝の感慨』の一節がすとんと胸に落ちる。
『命あって今年も訪れた上高地
山の貌、谷の姿、去年に変わらず
雲をちりばめて聳え立つ大穂高のした
清い流れの梓川のほとりで、 (中略)
老いたるは敬うべく頼むべく
若きは愛すべく雄々しく凛々しい。
山と人とのかくも望ましいめぐりあいが
無常迅速の時の中に、
そう幾たびもあろうとは思われない』 (ウエストン祭とき、ウエストンの碑のまえで尾崎自身が朗読した詩)
(現在 立て札状だった碑のようなものは紛失してないが、碑文の原文は案内所で見られたそうである。上高地に置くのに最もふさわしい良い詩だと思っている大好きな詩だが、尾崎の著作集には載っていない。 五千尺ロッジのロビーにも大きく飾ってあり、フロントにたのべば見せてもらえます。後述で詩碑にならなかった理由など書きます。 榮子記)
喜八の詩碑を探して駆け回ったが見つからない。案内所で消息を聞くと、「数年前、梓川の氾濫で詩碑は流されてしまいました。碑文の原文はあそこに掲げてあります」と主人は梁を指差した。そこには、当地五千尺旅館で揮毫した詩人の力強い言葉が並んでいた。
大空の青にそばだつ槍穂高
谷深く夏をかなでる梓川
山を敬い 山を愛し
登るわが身の幸いを
至上のものと思いながら
光も澄んだ山頂の
広く美しい視野に立つ
時には人間さえ拒むこの地では、神が創った作品以外は置いてもらえないのか、との思いを抱いて山を下りた。更にちかくの「山に祈る」の塔には、詩「ある石に刻むとて」が刻まれていると聞くが、未見である。