言葉を大切に | 一日三歩

一日三歩

最初は日常系のブログ目指してたのですが、
ジャンルはゲーム、アニメ、漫画、映画、ドラマ、などなど。

書きたいことがぐちゃぐちゃと絡み合ってうまく伝えられない時があります。

それは頭の中で整理できていないこともあるし、頭の中で整理できていたのに

いざ言葉にしようとするとうまく発言できなかったりします。

 

決まっていた言葉を文章にしようとしても何度も何度も見返してしまいます。

本当に私が言いたいことはこれでいいのか。伝わるのか。考えは間違っていないのか。

何度も考えて悩んで、不安のまま辿りついた末に発信します。

 

でも発信した言葉にはそんな背景は付随しません。

どんな気持ちなのか、どんな意図なのか。私たちは与えられた言葉から読み解いています。

その言葉に本当に伝えたいことが含まれているのかさえ分かりません。

発信者の意図しない意味をもつことさえあります。

 

本当に伝わってほしい相手にさえ、本当の気持ちを正しく伝えることは難しく

私という存在の思考は基本的には言葉を通してしか相手に伝えることができないため、

どうしても自分の考えている自己像と他者から見えている私という姿は一致しません。

 

自分という存在の思考と世界をつなぐ方法の大多数は言葉です。

でも、言葉というコミュニケーション方法は他者に気持ちを伝えるには不十分すぎます。

 

それに悩んで苦しんで、もどかしさや苦しみを感じます。

誰だってその人にしか持ってない記憶があり、感情があり、意味がある。

それを鮮明に正確に残し、他者と共有する方法はこの世界にはまだないでしょう。

 

だからこそ

他者から発信された言葉に深く共感を得たとき、あるいはまったく理解できないとき。

私は、ひどく感動してしまうのです。

 

 

 

 

仰々しく書いてしまいましたが、どうでしょうか。

書いている私としてはちょっと詩的(エモ?)になって満足です。

こういう話を誰か友達と話してみたいと思っていても、話をうまく伝えられるだろうか。

会話したことで生まれる相手の言葉を正しく理解できるだろうか。

色々考えて、臆病になって諦めていました。

 

私は社会人として時間を過ごし、なんとなく生きるということはできなくなってきました。

というのも、立場や生活、人生における様々な要因に対して変化が発生し

それぞれに対する向き合い方も変わってきたからです。

自身が発信する言葉の重みを意識しないといけなくなってしまいました。

 

気楽になんでも発言できるならそれでよいのですが、発言に責任が伴ってしまったのです。

たとえ話としては大きすぎるかもしれませんが、SNSでの誹謗中傷であったり

誰かに対する殺人予告などその発言自体を他者が受け取る場合

相手の発言の真意はわかりません。軽い冗談のつもりであっても。

近年では逮捕者が出る事件として取り扱われるようにもなっています。

 

言葉というのは誰にでも扱える道具であるにも関わらず

その重みについて、自身と他者をつなぐ数少ない方法であることを自覚できているでしょうか。

あるいはわかっていたとしても、その重要性を意識して日々を過ごせているでしょうか。

 

私はその重要性を考えていませんでした。

家族であれば毎日一緒に過ごしているからある程度理解してもらえるだろう。なんて。

 

表面的な言葉でどこまで相手が理解してくれているか、許してくれているかはわかりません。

私という存在と他者からみた私のイメージは思ったより剥離しているみたいです。

 

わからなくなってしまいました。。。

でも。

 

その状態を救ってくれるのも、また言葉なのです。

不思議なことに、私は私を悩ませるものに救われているのです。

 

 

誰かが届けてくれた言葉を理解し、共感し、都合よく解釈し、安心するのです。

不完全と感じている言葉の海の中で、相手と通じ合えたと感じたときは嬉しいのです。

そして、たまには無責任に思ったことをそのまま発言して気晴らしをするのです。

なんておかしい存在でしょうか。

しかし、そのおかしさが私たちの生きる世界の深みや彩りを与えてくれているとも思います。

 

他人から見ればこんなこと、どうってことないかもしれません。

私がこの文章で伝えたい気持ちが正しく伝わるのかもわかりません。

それでも、私の言葉が届けたい相手に届いているといいなと思います。

普段はふざけているので、明日にはまた適当なことを言っているでしょう。

それでも。言葉に魅力を感じているから、こうして文章を書いているんだと思います。

以上。

 

 

もう固めの文章は疲れたので、いつも通りに戻ります。

文章の書き方によって、性格も勝手に脳内で補完されたりしますよね。

 

前回のアニメレビューの記事を急いで書いて、後日見直したのですが

個人的には気持ちがあまり入ってない適当に流して書いてしまったように感じたので

書きたいときに書きたいことを書くのが自分に一番向いている気がします。

熱量のある文章を丁寧に書きたいなと思った今日この頃でした。

 

 

今日の一曲。

「地球儀」米津玄師

 

 

「君たちはどう生きるか」まだ見てません。