田原総一朗:「フクシマ」から「福島」へと歩み始めた人々
東日本大震災から1年を迎えた3月11日、福島県二本松市で開かれた座談会に司会者として参加した。いわき市を中心とした中学校の生徒会長5人、そして農家や農家を支援してきた大学教授6人とそれぞれ話し合った。
■「農業に対する意識がまったく変わった」
農家の人たちから聞いた次の言葉に私は関心を持った。
「たまたま福島の農家に生まれたので農業をやってきたが、東日本大震災と原発事故で農業に対する意識がまったく変わった」
東京電力・福島第一原発事故以来、農産物の放射能汚染が懸念され、農家の人たちもその影響を心配したが、当初、農産物は意外にもよく売れたという。
全国の消費者が「福島は大変だ」と心から同情し、買ってくれたからだ。それに、福島の農家の人たちが放射能問題に真剣に取り組んだことが大きかった。
彼らは高価な放射能測定器を自分たちで購入し、自主的に放射線量をそれぞれの地域で調べた。また、農地を30センチほど掘り返して除染する努力を地道に重ねたという。
■コメから放射性物質検出、農家の本当の闘いが始まった
彼らは「放射能に負けない農業」「原発事故に負けない農業」を目指して懸命に努力した。
福島には、もともと有機栽培や無農薬栽培に取り組む農家が多い。そこで栽培された農産物を買ってくれていた消費者は品質に敏感な人たちだ。農産物の安全性を積極的に訴える農家の努力が消費者の心に響いたのである。
ところが、である。昨年10月に安全宣言を出して県内で生産された新米の全面解禁に踏み切った1カ月後、ある地域で収穫されたコメから暫定基準を上回る放射性セシウムが検出され、メディアで大きく取り上げられた。それ以来、農産物は急に売れなくなった。
このときから農家の本当の闘いが始まった。
「あんな安全宣言は出してほしくなかった。県がすべて把握したうえで安全宣言したわけではなかったから」と農家の人は言う。熱心に安全性を確認していた地域がある一方で、あまり力を入れて取り組めなかった地域もあったのである。
■再び「福島」に戻るため歩み始めている
汚染米で信頼が失われた後、農家の人たちはどうしたか。
県も農協も当てにならないと思い、それぞれの農家が消費者に直接販売するようになり、顔と顔とをつなぐネットワークをつくった。「○○さんが作った農産物なら安心できる」という、生産者と消費者をつなぐ信頼のネットワークを築いたのだ。
その努力の結果、消費者は少しずつ戻ってきた。だがその間、農業をあきらめて移転した人たちがいた。不幸にも自ら命を絶った人もいる。
農家の人たちは今改めて、福島で農業をしていることの意義を再認識するようになったそうだ。
一つにはプライドがある。使命感もある。福島を捨ててはならない、という気持ちもある。
メディアは震災以来、原発災害に見舞われた福島をカタカナの「フクシマ」で報じた。しかし農家の人たち、いや県民全員が再び「福島」に戻りたいと願っている。その気持ちを強く持ちながら、一歩、また一歩と踏み出している。
■「決断できないニッポン」
先日、NHKの番組で岩手県陸前高田市の漁業を営む人と話をした。陸前高田は津波で大きな被害を受けた。元の場所に家を建て直したら、再び津波の被害を受けるかもしれない。住民たちの間では、高台へ移転する気持ちがようやく整った。
ところが、いまだに高台への移転が実行されていない。必要な資金がいつ、どのよう出してもらえるか、まだ決まっていないからだ。
当然、国や県、市から援助してもらえるはずだ。「援助はいつあるのか」と市に問い合わせると、「県がはっきりしない」という。県に問うと、「国がはっきりしない」と回答し、国は「県の方針がはっきりしていない」と答える。
これでは国や自治体による責任のなすり合いのように思える。この話を聞いて「決断できないニッポン」を強く感じた。
座談会では、女子中学生から次のような話を聞いた。
彼女の実家は福島第一原発から近い双葉郡楢葉町にあったため、そこから避難しなければならなくなった。しかし、父親は福島原発で働いており、事故後、父親は原発に行ったまま10日間帰ってこなかった。仕方なく、彼女は父親以外の家族と他地域に避難した。
■震災や原発事故をめぐり、いじめや差別が起きている
ところが、避難先でつらい出来事が起きた。
原発事故を起こした東電は今や「国民の敵」と見なされている。福島でもそう思われている。父親がその東電に勤めていることが周囲に知られ、彼女はいじめや差別に遭ったのだ。
彼女の父親は、事故を最小限に抑えるために、福島を守るために10日間も泊まりがけで命がけの仕事をしていたに違いない。ところが避難生活を送っている先で、彼女はまるで「敵」扱いされた。それを泣きながら話してくれたのである。
「東電の経営者たちには大きな責任がある。しかし、お父さんは原発へ行って命がけで事故と闘った。そして今、家族と離れている。実はお父さんも被害者なんです」。私はそう話しかけた。
震災や原発事故をめぐって、いじめや差別といった問題があちこちで起きているのだろう。座談会を通して、それを強く感じた。
3月11日未明に放送された「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)で、環境相・原発事故担当相の細野豪志さんが語った言葉が強く印象に残っている。
「福島原発で起こった事故を最小限にとどめようと、今でも1000人以上の人たちが働いている。その人たちは命をかけて働いているが、メディアはそのことをあまり取り上げてくれない。彼らが懸命にがんばっているからこそ、現在の冷温停止状態が保てていることを知ってほしい」
細野さんは弁解やごまかしをせず、出演者の質問や意見にきちんと答えてくれた。その細野さんが唯一語った不満がこの言葉である。
■メディアは相変わらず「フクシマ」を報道し続ける
震災から1年の3月11日には、各メディアがいっせいに震災・原発事故報道を行ったが、私はその内容に違和感を覚えた。どの新聞もテレビも、「悲しみの報道」なのである。
被災地は今、新しい一歩を踏み出している。前述のように、福島の農家の人たちは「『フクシマ』から元の『福島』に戻りたい」と強く願っているにもかかわらず、その思いとは別の報道内容に偏っている。
福島の農家の人たちは今、農家に生まれたから農業をやっているのではない。福島を自分で選び、福島を愛しているからこそ、歯を食いしばって農業を続けているのだ。
桃は福島の代表的な農産物である。贈答品に用いられる高級品として知られているが、昨年は放射能汚染問題があって贈答用に使われず、スーパーマーケットなどでは価格が5分の1まで下がった。今年は「福島産の桃」を再び贈答用として市場に出したいと考え、桃栽培農家は必死になって闘っている。
「福島」を取り戻そうと懸命の努力をしているときに、メディアは相変わらず「フクシマ」を報道し続ける。
目を向けるべきは、「フクシマ」から「福島」へ変わろうと努力を重ねている人々の前向きな姿である。
田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年からスタートした「サンデープロジェクト」のキャスターを務める。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。著作に『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』(PHP研究所)、『原子力戦争』(ちくま文庫)、『ドキュメント東京電力』(文春文庫)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)など多数。
Twitterのアカウント: @namatahara
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納豆にスイーツも!常備したい防災缶詰
■「農業に対する意識がまったく変わった」
農家の人たちから聞いた次の言葉に私は関心を持った。
「たまたま福島の農家に生まれたので農業をやってきたが、東日本大震災と原発事故で農業に対する意識がまったく変わった」
東京電力・福島第一原発事故以来、農産物の放射能汚染が懸念され、農家の人たちもその影響を心配したが、当初、農産物は意外にもよく売れたという。
全国の消費者が「福島は大変だ」と心から同情し、買ってくれたからだ。それに、福島の農家の人たちが放射能問題に真剣に取り組んだことが大きかった。
彼らは高価な放射能測定器を自分たちで購入し、自主的に放射線量をそれぞれの地域で調べた。また、農地を30センチほど掘り返して除染する努力を地道に重ねたという。
■コメから放射性物質検出、農家の本当の闘いが始まった
彼らは「放射能に負けない農業」「原発事故に負けない農業」を目指して懸命に努力した。
福島には、もともと有機栽培や無農薬栽培に取り組む農家が多い。そこで栽培された農産物を買ってくれていた消費者は品質に敏感な人たちだ。農産物の安全性を積極的に訴える農家の努力が消費者の心に響いたのである。
ところが、である。昨年10月に安全宣言を出して県内で生産された新米の全面解禁に踏み切った1カ月後、ある地域で収穫されたコメから暫定基準を上回る放射性セシウムが検出され、メディアで大きく取り上げられた。それ以来、農産物は急に売れなくなった。
このときから農家の本当の闘いが始まった。
「あんな安全宣言は出してほしくなかった。県がすべて把握したうえで安全宣言したわけではなかったから」と農家の人は言う。熱心に安全性を確認していた地域がある一方で、あまり力を入れて取り組めなかった地域もあったのである。
■再び「福島」に戻るため歩み始めている
汚染米で信頼が失われた後、農家の人たちはどうしたか。
県も農協も当てにならないと思い、それぞれの農家が消費者に直接販売するようになり、顔と顔とをつなぐネットワークをつくった。「○○さんが作った農産物なら安心できる」という、生産者と消費者をつなぐ信頼のネットワークを築いたのだ。
その努力の結果、消費者は少しずつ戻ってきた。だがその間、農業をあきらめて移転した人たちがいた。不幸にも自ら命を絶った人もいる。
農家の人たちは今改めて、福島で農業をしていることの意義を再認識するようになったそうだ。
一つにはプライドがある。使命感もある。福島を捨ててはならない、という気持ちもある。
メディアは震災以来、原発災害に見舞われた福島をカタカナの「フクシマ」で報じた。しかし農家の人たち、いや県民全員が再び「福島」に戻りたいと願っている。その気持ちを強く持ちながら、一歩、また一歩と踏み出している。
■「決断できないニッポン」
先日、NHKの番組で岩手県陸前高田市の漁業を営む人と話をした。陸前高田は津波で大きな被害を受けた。元の場所に家を建て直したら、再び津波の被害を受けるかもしれない。住民たちの間では、高台へ移転する気持ちがようやく整った。
ところが、いまだに高台への移転が実行されていない。必要な資金がいつ、どのよう出してもらえるか、まだ決まっていないからだ。
当然、国や県、市から援助してもらえるはずだ。「援助はいつあるのか」と市に問い合わせると、「県がはっきりしない」という。県に問うと、「国がはっきりしない」と回答し、国は「県の方針がはっきりしていない」と答える。
これでは国や自治体による責任のなすり合いのように思える。この話を聞いて「決断できないニッポン」を強く感じた。
座談会では、女子中学生から次のような話を聞いた。
彼女の実家は福島第一原発から近い双葉郡楢葉町にあったため、そこから避難しなければならなくなった。しかし、父親は福島原発で働いており、事故後、父親は原発に行ったまま10日間帰ってこなかった。仕方なく、彼女は父親以外の家族と他地域に避難した。
■震災や原発事故をめぐり、いじめや差別が起きている
ところが、避難先でつらい出来事が起きた。
原発事故を起こした東電は今や「国民の敵」と見なされている。福島でもそう思われている。父親がその東電に勤めていることが周囲に知られ、彼女はいじめや差別に遭ったのだ。
彼女の父親は、事故を最小限に抑えるために、福島を守るために10日間も泊まりがけで命がけの仕事をしていたに違いない。ところが避難生活を送っている先で、彼女はまるで「敵」扱いされた。それを泣きながら話してくれたのである。
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細野さんは弁解やごまかしをせず、出演者の質問や意見にきちんと答えてくれた。その細野さんが唯一語った不満がこの言葉である。
■メディアは相変わらず「フクシマ」を報道し続ける
震災から1年の3月11日には、各メディアがいっせいに震災・原発事故報道を行ったが、私はその内容に違和感を覚えた。どの新聞もテレビも、「悲しみの報道」なのである。
被災地は今、新しい一歩を踏み出している。前述のように、福島の農家の人たちは「『フクシマ』から元の『福島』に戻りたい」と強く願っているにもかかわらず、その思いとは別の報道内容に偏っている。
福島の農家の人たちは今、農家に生まれたから農業をやっているのではない。福島を自分で選び、福島を愛しているからこそ、歯を食いしばって農業を続けているのだ。
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「福島」を取り戻そうと懸命の努力をしているときに、メディアは相変わらず「フクシマ」を報道し続ける。
目を向けるべきは、「フクシマ」から「福島」へ変わろうと努力を重ねている人々の前向きな姿である。
田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年からスタートした「サンデープロジェクト」のキャスターを務める。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。著作に『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』(PHP研究所)、『原子力戦争』(ちくま文庫)、『ドキュメント東京電力』(文春文庫)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)など多数。
Twitterのアカウント: @namatahara
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「この記事の著作権は 復興ニッポン に帰属します。」
放射性物質セシウムを「週刊朝日」記者の自宅などで測定 いちばん高かったのは?
東京電力福島第一原発の事故から1年。水素爆発によってセシウムなどの放射性物質が大量に放出された。今、それはどこにあるのか。『週刊朝日』記者が、朝日ジャーナル「わたしたちと原発」(朝日新聞出版)の企画で、測定キットを使ったセシウム計測に挑んだ。
福島県内で除染活動などに取り組む徳島大学アイソトープ総合センターの佐瀬卓也講師は話す。
「今でも多くが土の表層にあるとみていいでしょう。事故当初に汚染された土やほこり、枯れ葉、針葉樹などに多く付着し、それらが雨水と一緒に流れて側溝や道路わきに集められていると考えられます。マンホールや排水溝の周辺の土、くぼ地などで高い濃度が検出されることがあります」
つまり、セシウムは雨水がたまりやすい所に集まっているというのだ。そんな場所は私たちの身の回りにも少なくない。
そこで、分析・計測機器の分野で実績のある堀場製作所(京都市南区)のシンチレーション式環境放射線モニタと放射能簡易測定キットを購入。首都圏ではホットスポットが比較的多いエリアとされる千葉県市川市の記者の自宅や近所の公園などで、土壌や落ち葉、水を採取し、それぞれに含まれるセシウム濃度(ベクレル値)の測定を試みた。結果は、自宅の樋の下の土が1キロあたり583ベクレル、裏庭のコケが1298ベクレル、近所の公園の池の泥が2057ベクレルなどだった。
ほかにも、今回、この市販キットを使って、東日本各地の水や食品、土壌などを独自に測定した(詳細は朝日ジャーナルに掲載)。
セシウムという"やっかいな隣人"とどう付き合えばいいのか。それを考える上でも、身の回りの放射能量を知ることが、ますます重要になっている。
※週刊朝日2012年3月23日号
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山本太郎 「自分がやっている市民運動は過激じゃない」
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藤巻健史氏 「円高のままでは日本企業は壊滅的な状況に」
「うつ病」になった避難所リーダー 復帰を待つ仲間が送る言葉
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つまり、セシウムは雨水がたまりやすい所に集まっているというのだ。そんな場所は私たちの身の回りにも少なくない。
そこで、分析・計測機器の分野で実績のある堀場製作所(京都市南区)のシンチレーション式環境放射線モニタと放射能簡易測定キットを購入。首都圏ではホットスポットが比較的多いエリアとされる千葉県市川市の記者の自宅や近所の公園などで、土壌や落ち葉、水を採取し、それぞれに含まれるセシウム濃度(ベクレル値)の測定を試みた。結果は、自宅の樋の下の土が1キロあたり583ベクレル、裏庭のコケが1298ベクレル、近所の公園の池の泥が2057ベクレルなどだった。
ほかにも、今回、この市販キットを使って、東日本各地の水や食品、土壌などを独自に測定した(詳細は朝日ジャーナルに掲載)。
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「この記事の著作権は 週刊朝日 に帰属します。」
原発事故被害から生涯保護、法案提出
法案は福島第一原発の事故によって被ばくのおそれがある子供や妊婦に対して政府が基本計画を策定し、生涯にわたって健康診断を実施することや医療費の負担を減免するなどの施策が盛り込まれています。また、子どもや妊婦による汚染地域からの一時避難を財政的に支援したり、学校給食などで放射性物質の検査に必要な検査機器の設置費用を助成することについて、「政府は法制上、財政上の措置を講じる」としています。
法案提出の理由について、自民党の森まさこ参院議員は「今も低線量の被ばくをしている子どもたちが将来本当に何も健康影響がないかどうか誰にも保証できない」と述べ、民主党にも協力を呼びかけていく考えを明らかにしました。(14日20:38)
「この記事の著作権は TBS系(JNN) に帰属します。」
野田総理 富岡町長にがれき焼却灰受け入れ要請
野田総理大臣:「富岡町についてもお願いすることになるが、ひとつご検討頂ければと思います」
富岡町・遠藤町長:「国の姿勢を浸透できるようなことが必要だと思う」
野田総理は、がれきを焼却した後の灰を収容する処分場を富岡町に建設するという政府の方針に理解を求めましたが、遠藤町長は対応について明言しませんでした。そのうえで、遠藤町長は、原発事故の賠償基準を政府が早期に示すことや住民の帰還に向けた雇用対策などを要請しました。
「この記事の著作権は テレビ朝日系(ANN) に帰属します。」
2・3号機、原子炉建屋地下を初調査
福島第一原発2号機の地下で撮影された写真。真ん中に赤く見えるのが格納容器の下部にある圧力抑制室の一部です。14日昼すぎ、東京電力の社員6人が初めて2号機と3号機の原子炉建屋の地下に入り、「トーラス室」と呼ばれる圧力抑制室を格納する部屋につながるドアが開くかどうか確認したほか、放射線量や湿度などを測定しました。
2号機のトーラス室内の放射線量は最大で1時間あたり160ミリシーベルト、さらに下の階にたまっている汚染水の表面線量は、2号機は150から160ミリシーベルト、3号機は140ミリシーベルトだったということです。3号機ではドアが開かず、「トーラス室」の中には入れませんでした。ドアが開かなかった理由について、東京電力は爆発の影響ではないかとしています。
東京電力では、線量が高いことから人が入っての作業が難しいとして、今後、ロボットを使って圧力抑制室の破損状況や地下水の流入箇所などを調査したいとしています。(14日20:26)
「この記事の著作権は TBS系(JNN) に帰属します。」