
「特に・・・何も無いですよー」
以前『明治史料館』で伺った際、係りの人(学芸員?)は確かにそう言った。
『詳しい事は人に聞け』を信条に掲げる北口は、
これまで何度も『明治史料館』に乗り込み、興味のある文化財・史跡のあらましや場所を教えてもらった。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/numazukitaguchi/26359909.html<自分リンク①
これまで何度も『明治史料館』に乗り込み、興味のある文化財・史跡のあらましや場所を教えてもらった。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/numazukitaguchi/26359909.html<自分リンク①
その係りの人の助言や感想はどれも的確で、それだけに「何も無い」という評価に、
これまで北口の足をその場所に向かわせないでいた。
これまで北口の足をその場所に向かわせないでいた。
んでも、通りかかっちゃったら、その時ちょっと時間があったら、寄って見るのは仕方が無い。
溢れ出ることは既に無くなった北口の好奇心であっても、滲み出るくらいはするのです。
溢れ出ることは既に無くなった北口の好奇心であっても、滲み出るくらいはするのです。
てなワケで、訪れたのは「何も無い」と評判の『牧堰』です。

『牧堰』はこれまでこの『沼津でいこう。』に何度も紹介している『黄瀬川』に在り、
『鮎壷の滝』のちょっと上流、『五竜の滝』のずいぶんと下流に位置するカンジです。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/numazukitaguchi/3500663.html <自分リンク②/鮎壷の滝(ⅰ)。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/numazukitaguchi/24843785.html <自分リンク③/鮎壷の滝(ⅱ)。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/numazukitaguchi/24201551.html <自分リンク④/五竜の滝。
んでも、想像以上に辺りは「何も無い」カンジです(汗)
北「本当に・・・・ここなのだろうか?」
不安になりつつ、注意書きが書かれた立て看板を見ると、確かに『牧堰』と書いてあります。

良く見ると、芝生の土手に石段があり「こっちにおいでよ~」と北口を誘うカンジです。

んで、その石段を登り、辺りを見渡して見ると・・・「おお?!おお~っ!!」

北「ん~?特段何も無いカンジ??あれが『牧堰』なのだろうか??」
とはいえ、せっかく来たのっだから、もうちょっと近くで見たいと思うのは人情です。
土手から降りて回りこんで行くとなかなか趣のある水門が在ります。
土手から降りて回りこんで行くとなかなか趣のある水門が在ります。

北「ん~?案内板にも”水門”って書いてあるし、これが『牧堰』なのだろうか??」
その水門の横には獣道のような小道があり、そのまま奥に進んで行けそうです。

右側にはフェンスがあり進めないため、そのまま左に進んで行きます。

そして、やや遠いながらも、視界を遮る物が無い場所で見下ろして見ると・・・「おお?!おお~っ!!」

北「ん~?特段何も無いカンジ??あれが『牧堰』なのだろうか??」<そればっか(冷汗)
=牧堰========================================================================================
沼津市大岡
牧堰は、鮎壺の滝の300m上流において黄瀬川の水を分水する堰で、
市内北小林地内で取り入れ、ほぼ狩野川、黄瀬川、岡宮東間門を結ぶ線、
愛鷹山麓で囲む地域の水田の灌漑用水を供給し、いわば沼津を養い育てた母親であるといえよう。
市内北小林地内で取り入れ、ほぼ狩野川、黄瀬川、岡宮東間門を結ぶ線、
愛鷹山麓で囲む地域の水田の灌漑用水を供給し、いわば沼津を養い育てた母親であるといえよう。
慶長7年(1602)、岡宮東間門以東15ヵ村の組合につくられ、
その後正保年中には門池を補助貯水池としながら 397町歩の水田を潤した。
牧堰の水の多寡は農民の生活、生命に直結するものであったから、
干魃時には川下の本宿堰や大岡と沼津宿などの間で水争いが起き、
順番に水を配る番水や夜通し水路を見張る番小屋が建てられたりしたが、
ときには流血の惨事すら起こることもたびたびであった。
その後正保年中には門池を補助貯水池としながら 397町歩の水田を潤した。
牧堰の水の多寡は農民の生活、生命に直結するものであったから、
干魃時には川下の本宿堰や大岡と沼津宿などの間で水争いが起き、
順番に水を配る番水や夜通し水路を見張る番小屋が建てられたりしたが、
ときには流血の惨事すら起こることもたびたびであった。
しかし、大正以後沼津付近に資本主義産業が発達するにつれ水田はしだいに減少し、
とくに昭和30年以降は急速にその機能を失いつつある。
とくに昭和30年以降は急速にその機能を失いつつある。
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てか、北口が生まれる以前の、昭和30頃から機能を失いつつあったって事は、
平成も24年を迎えた昨今なら「何も無い」ってーのも頷けちゃうカンジなのかも・・・。
平成も24年を迎えた昨今なら「何も無い」ってーのも頷けちゃうカンジなのかも・・・。
とはいえ、近隣のマンションや社宅にはしっかりと『牧堰』ってネーミングは受け継がれており、
その面影が無くなっていっても、そこに住む人達の記憶として残っているのはとても喜ばしい限りです。
その面影が無くなっていっても、そこに住む人達の記憶として残っているのはとても喜ばしい限りです。
ちなみに、タイトルの「里穂」は牧瀬です。
本件の『牧堰』とは何の関係も無い事を、ここで付け加えておきます~。<またもやダジャレ。
本件の『牧堰』とは何の関係も無い事を、ここで付け加えておきます~。<またもやダジャレ。









































































