受験生を持つ我が家はご多聞に漏れず
ピリピリな毎日です。
足を引っ張らない様に返答をするも
お父さんはも〜。 と言われ続けている。
今日は娘の合格祈願に、安芸の宮島へ行って来た。
安芸の宮島
長く聖域として敬われた宮島は、参拝客を受け入れる江戸時代の宿場の佇まいを残したまま、現代へと推移してきました。
島の屋台骨とも言える寺社仏閣の荘厳さにふれた後は、是非散策を楽しんでください。
手つかずの原生林が広く残る山林、江戸情緒を残す街角の何気ない風景こそ、宮島の本当の姿なのです。 承認番号:嚴文FP271179号
藤い屋菓寮
宮島へ到着後、あまりの暑さに背中から汗が流れる
藤い屋菓寮で休憩を
冷たい物を注文。
今日は13.30干潮と言う事もあり
鳥居の真下まで歩いていけました。
厳島神社
宮島のシンボルともいえる嚴島神社は、仁安3年(1168)平清盛の厚い信仰のもと現在の規模に造営されました。 海をも含む敷地内には本社を中心に大小の各神社、舞台、楽房などが設置され、そのそれぞれは延長108間に及ぶ廻廊で結ばれ、独創的な配置構成を見せています。 また、朱塗り・桧皮葺の屋根、 スッキリとした軒廻りなど、随所に平安朝の建築美(寝殿造り)が生かされ、そのすばらしさは目をみはるほどです。
厳島神社内で娘の合格祈願をお願いしました。
祈願前の待合室
何と我が家ひと組での祈願となりました。
宮島での目的を達成し、早々に宮島を後に
創業明治三十四年 あなごめしうえの
「あなごめし」は、上野他人吉が、宮嶋駅(明治30年開通)の駅売弁当として販売したのがはじまりです。他人吉は明治の中頃、宮島でお米の商いをしておりました。その後、機会があって宮島口の駅前参道に茶店を開業。その茶店を起点にあなごめしは誕生しました。当時穴子が沢山獲れていたこの宮島近海では、昔から地元の料理として穴子どんぶりがございました。茶店でも旅人を楽しませていたことでしょう。江戸時代の芸藩通史にも当地の穴子の美味しさが書き伝えられております。
他人吉は、この宮島でもてなされていたであろう「穴子どんぶり」の白飯を工夫し、穴子のアラで炊き込んだ醤油味飯を考案しました。その炊き込んだ飯はこくがあり大変評判となりました。当時開通したばかりの宮嶋駅で駅弁を販売する事を考えていた他人吉は、早速この飯に穴子をびっしりと敷き詰めた「あなごめし」を名物として販売する事にしたのです。以来、山陽本線では評判となり、駅弁として販売を続け百十年を超えました。今では、宮島や広島市内においても「あなごめし」の名前は広く使われるようになり、特徴とこだわりを持った美味しい広島の名物となりました。私の母と、母を助け守り続けた多くのスタッフのひたむきな努力によって今日に至っております。「穴子どんぶり、穴子弁当」は数多くありますが、「あなごめし」は両親の守った上野他人吉の味が一番と信じて頑張っております。
近年は、穴子の不漁により漁師さんの世代交代が出来ず、当地における日々の集荷が限られる状況になってしまいました。百年を経て、新たな暖簾をかけるつもりで取り組む覚悟です。長年「あなごめし」が愛されている事を強く心に刻み、これまでの味を知るお客様と共に、その味を守り受け継いでいきたいと思っております。何卒お導き下さいますよう宜しくお願い致します。
四代目 上野純一
本土、宮島口で、帰りは定番は、うえのあなごめし
弁当をテイクアウト。
今夜の夕食はこれで、ビール頂きます!