西武村山線廃線跡 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

今日は西武村山線の廃線跡を見てきました。

(2018年4月30日)

村山線は現在の新宿線、西武園線の前身となる路線です。

1927(昭和2)年に村山貯水池が竣工して人気観光地となったことから、武蔵野鉄道(現・西武鉄道池袋線系統)が1929(昭和4)年に山口線(現・西武鉄道狭山線)西所沢〜村山公園(現・西武球場前)間を開業。さらに武蔵野鉄道傘下の多摩湖鉄道(現・西武鉄道多摩湖線)が1930(昭和5)年1月23日に村山貯水池(仮駅)間を開業しました。

西武鉄道はこれに対抗して、免許を取得していた東村山〜箱根ヶ崎間のうち1駅間を建設。1930(昭和5)4月5日に東村山〜村山貯水池前間を開業させました。

村山貯水池への行楽客を奪い合うために3路線も建設されたなんて、今からは想像もできませんね。

村山線は戦時中の運行休止、戦後の合併、社名変更の後、1948(昭和23)年4月1日に村山貯水池駅として営業を再開しました。

しかし西武鉄道は東村山文化園と村山競輪場を建設し、その最寄り駅として1950(昭和25)年5月23日に村山線を野口信号場から分岐させて西武園駅を作りました。

西武鉄道は西武園を重視するようになりました。一方野口信号場での分岐がダイヤ構成上問題になるようにもなりました。また、かつてのライバルだった多摩湖線も西武の路線である以上、至近距離に駅を置く必要性もなくなったため、1951(昭和26)年3月1日に村山貯水池駅は西武園駅に統合されました。

野口信号場〜村山貯水池間は廃止されてからかなりの時間が経っていますが、わずかながら痕跡は残っています。

野口信号場では、西武園線と分岐する村山線を偲ばせるように廃線跡が道路として残っています。

(2018年4月30日)

ただ、道路として残っている部分はそれ程多くなく、住宅地に取り込まれている部分も多くなっています。

(2018年4月30日)

西武園線の踏切の手前の道路が廃線跡です。

(2018年4月30日)

この後の廃線跡の多くが宅地化されていますが、いかにも廃線跡として残っているところもあります。

(2018年4月30日)

以前の写真では、住宅の塀に鉄道の柵が残っていましたが、現在はなくなりました。
この後、道路に戻って村山貯水池駅となりますが、宅地化されて痕跡はありません。

(2018年4月30日)

奥にある住宅の先が駅跡だったようです。
駅前のスペースも宅地化されましたが、駅前通りだった道路は多摩湖線の鉄橋の下にある道路として残っているようです。

(2018年4月30日)

この道路の突き当たりに村山貯水池があります。当時はまさに観光地だったのでしょうね。

ちなみに多摩湖線の村山貯水池(仮駅)はここにあったそうです。

(2018年4月30日)