1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で上越新幹線が開業し、上越線の特急、急行列車の体系も大きく変化しました。この時に廃止された特急の中に「とき」と「はくたか」もいました。
(「とき」クハ181-107/「はくたか」クハ489-505・上野・1982年)
「とき」は1962(昭和37)年に上野〜新潟間の電車特急として設定されました。上越線初の電車特急であることはもちろんのこと、東海道・山陽本線系統以外で初の電車特急でした。
車両は151系をベースにと歯車比を1:4.21と勾配向けとして、抑速ブレーキを搭載した新形式161系を投入。151系と区別するための赤い鉢巻きが「とき」のアイデンティティとなりました。
(クハ181-45・鉄道博物館・2016年4月15日)
161系は、東海道新幹線開業で余剰となった151系とともに181系に改造されました。この結果主電動機をMT54に換装して出力増強するとともに歯車比を1:3.50に統一。さらに抑速ブレーキを搭載しました。
元151系の田町電車区所属車は雪対策でスノープラウを装着すると同時にミニスカート化。さらに運用範囲を中央東線「あずさ」まで拡大した際に狭小トンネル対策で屋上前照灯とウインカーを撤去して、181系山仕様スタイルが確立しました。
(「とき」クハ181-105・長岡・1980年8月)
一方「はくたか」の前身は1961(昭和36)年10月ダイヤ改正で設定された気動車特急「白鳥」です。「白鳥」は大坂〜青森間の編成と、大阪〜上野間の編成を連結し、直江津で分割併合しました。そして信越本線経由で上野まで運転されました。
1965(昭和40)年10月のダイヤ改正で上野「白鳥」は分離独立して、上野〜金沢間の「はくたか」となりました。
上野「白鳥」、「はくたか」はキハ80系で運行(写真はイメージ)。
(キハ82 100・三笠鉄道文化村・2010年6月2日)
信越本線にはアプト式の碓氷峠区間があったので、この区間ではED42形の助けを借りていました。
(ED42 1・碓氷峠鉄道文化むら・2003年1月12日)
1969(昭和44)年10月のダイヤ改正で「はくたか」は電車化。向日町運転所の481・485系11両編成に置き換わりました。この結果、碓氷峠を通過することができなくなったため、運行ルートを上越線経由に変更しました。
「とき」には山陽新幹線開業で余剰となった181系も加わって、最大13往復まで増強されましたが、長年の酷使に豪雪のダメージが蓄積して故障が多発。この結果1974(昭和49)年から耐寒耐雪性能を強化した183系1000番代が投入されました。
(「とき」クハ183-1000・八色〜小出・1981年3月)
183系1000番代の投入の後「とき」は12両編成化。また、181系も食堂車を廃止して12両編成化されました。
1978(昭和53)年10月2日のダイヤ改正から「はくたか」の運用を金沢運転所の489系に移管しました。
(「はくたか」クハ489-700・上野・1980年12月)
「はくたか」は信越本線の「白山」と共通運用になるとともに、食堂車なしグリーン車2両連結の12両編成となりました。
このダイヤ改正では「とき」も14往復に増えています。
(「とき」クハ181-107/「はくたか」クハ489-505・上野・1982年)
この体制で「とき」と「はくたか」は上越新幹線の開業を迎えました。
1982(昭和57)年11月15日に上越新幹線大宮〜新潟間が開業。「とき」は上越新幹線各駅停車タイプの列車名となりました。