
(116・正雀車庫・2016年5月15日)
晩年は阪急100形となっていたP-6形は阪急京都線の前身である新京阪鉄道の車両として1927(昭和2)~1929(昭和4)年に73両が製造されました。
この当時最大級の19m車体を持ち、当時最強の150kW出力の主電動機を備え、設計最高速度120km/hという高速性能を誇っていました。
戦前には国鉄の特急「燕」を追い越したという伝説が残るなど、高速電車の傑作と謳われていました。
新京阪鉄道は元々京阪電鉄の子会社でしたが、1930(昭和5)年に京阪電鉄に吸収合併され、P-6形もデイ100形に形式を変更しました。さらに1943(昭和18)年に阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄となりました。
1949(昭和24)年に京阪電鉄が分離独立しましたが、旧・新京阪鉄道はそのまま京阪神急行電鉄に残りました。なお京阪神急行電鉄は1973(昭和48)年に阪急電鉄に改称していますが、この年にP-6形は引退しました。
そんなP-6形ですが、116号車が動態保存されました。その理由は車体が原型に近かったからだそうです。
ちなみにトップナンバーの101号車は前頭部のみのカットボディとなって宝塚ファミリーランドのりもの館に保存されていましたが、同園の閉園で現在は正雀工場で保管されています。

(101・正雀工場・2016年5月15日)
116号車は1974(昭和49)年に復元されましたが、その後荒廃。1988(昭和63)年に静態保存ながら再復元され、1997(平成9)年に動態復元されました。
イベントでは乗車体験もできたのですが、あっという間に整理券がなくなるなどの人気振りでした。

(116・正雀車庫・2016年5月15日)
試乗列車は思った以上にスピードが速かったのもP-6形ならではなのでしょう。
午後には2300系が展示されました。

(2301・正雀車庫・2016年5月15日)
2300系は阪急京都線用として、阪急神宝線の2000系とともに1960(昭和35)年から製造された車両です。
両形式とも定速制御と回生ブレーキを搭載し「人工頭脳電車」とか「オートカー」と呼ばれ、第1回ローレル賞を受賞しています。
現在の阪急電車の基礎を築いた形式なのでそうです。
言われてみれば、この顔はこどもの頃本でよく見た「阪急の顔」です。
正直関西の私鉄には詳しくないのですが、それぞれの私鉄に名車があるということを再確認しました。

(116/2301・正雀車庫・2016年5月15日)