大好きだった越後交通ED5100形 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

この電気機関車は越後交通ED5100形で、子どもの頃から好きだった電気機関車でした。

(ED5101・西長岡・1989年8月)
この電気機関車の存在を知ったのは小学生時代の1978年頃だったと思います。
鉄道の本に長野電鉄ED5100形として紹介されていたのですが、元は定山渓鉄道の電気機関車だという説明があって、気に入りました。
というのも、小学2~6年生まで札幌に住んでいて、定山渓鉄道の廃線跡を見に行ったことがあったからです。
現役の定山渓鉄道は知らないけど元定山渓鉄道の車両が走っていることを知って興味を持ったわけです。

で、この電気機関車について簡単に説明しておきましょう。
定山渓鉄道時代はED500形でした。
豊平峡ダムの建設資材を輸送するため、1957(昭和32)年に2両製造されました。EF58に似たスマートな箱形車体を持つ50t級D形電気機関車です。
25‰勾配区間で重量貨物列車をけん引するために、定格出力200kWの主電動機を4基搭載し、勾配抑速ブレーキを備えていました。

1969(昭和44)年に定山渓鉄道が廃止され、ED500形は長野電鉄に譲渡。形式をED5100形と改めました。しかし1979(昭和54)年に長野電鉄の貨物輸送が廃止されたため、越後交通に譲渡されました。

当時そのことを知らなかったのですが、1980(昭和55)年に新潟県小出町(現・魚沼市)に引っ越した後、越後交通西長岡駅に立ち寄った際に偶然ED5100形を発見して小躍りした記憶があります。

(ED5101・西長岡・1980年8月)
青に黄色帯もかっこいいなって思いました。
しかし、越後交通の貨物列車の運行本数は非常に少なく、結局走行している姿を見ることはできませんでした。そして1995(平成7)年には越後交通も廃止され、ED5100形も姿を消してしまいました。

ちなみに定山渓鉄道には電車や気動車も存在していましたが、右側運転台であったり、固定窓車があったりなど、独特な車両が多く、モハ1200形、クハ1210形が十和田観光電鉄に譲渡されたのみでした。こちらは1990(平成2)年に廃車されて見ることはできませんでした。

かつては全国の私鉄に個性的な電気機関車がいましたが、今ではすっかり少なくなってしまいました。

(ED5101・西長岡・1980年8月)
もっと、写真を撮りたかったな。