
(「北越」クハ481-1508・富山・2011年3月28日)
現存する485系のなかでもクハ481-1508が絶大な人気を誇る理由は、その前面スタイルにあります。485系1500番代は特急電車運転の要望が強かった北海道札幌~旭川間に対して、北海道向け交流専用特急形電車開発までの暫定的措置として投入された区分番代で、クハ481形8両、モハ484形+モハ485形7ユニット14両の合計22両しか製造されなかった少数派グループでした。
先頭車のクハ481形1500番代は非貫通形「電気釜」のクハ481形300番代をベースとしていますが、降雪時の視界確保のために屋上前照灯を2灯に増強しているのが最大の特徴で、これが人気の理由のひとつとなっています。また同様の理由でワイパーを2連式に増強。さらに運行開始後、雪の付着対策として尾灯を外ばめ式に変更しているのも特徴的でした。
そのほか、北海道対策として鋳鉄制輪子を採用。電動車は両抱き式踏面ブレーキを装備したDT32G形を装着し、先頭車は踏面清掃装置付のTR69G形を装着していました。
北海道向けとはいえ暫定的措置だったためパウダースノー対策は不十分で、冬季はトラブルが頻発して半分に減便するなど、北海道での逸話が多い485系1500番代ですが、その一方で発電ブレーキや4灯前照灯、当年清掃装置など、好評だった部分は781系など後の北海道用車両に影響を与えています。
そんな485系1500番代ですが、自分が北海道に住んでいた1976(昭和51)~1980(昭和55)年の間、ほぼ毎日見ていたぐらい親しみのある車両で、自分の中では485系=1500番代と言ってもいいほどでした。しかも1980(昭和55)年に新潟に引っ越ししたのと同じタイミングで485系1500番代も青森運転所に転属したので、毎日ではないものの「いなほ」でその姿を見ることができました
ということで、ここではクハ481形1500番代の生涯を振り返ってみようと思います。
485系1500番代が製造されたのは1974(昭和49)年4~6月でしたが、すぐに北海道へは渡らずに青森運転所に貸し出されました。そして「白鳥」に限定運用したのち、北海道へ渡り、1975(昭和50)年8月から「いしかり」7往復の運用を開始しました。

(「いしかり」クハ481-1501・白石~厚別・1980年6月)
このクハ481-1501は1987(昭和62)年に半室グリーン車化されてクロハ481-1020と改番されました。その後1999(平成11)年にリニューアル改造され、クロハ481-3020となり原型は失われています。

(「くびき野」クロハ481-3020・長岡・2015年3月7日)
現在は新潟車両センターR28編成の1号車となっていますが、1500番代の面影はありません。
夏季は好調だった485系1500番代でしたが、初年度の冬からパウダースノーによるトラブルが頻発しました。その結果、冬季は半減の3.5往復運行となっています。

(クハ481-1503・札幌運転所・1978年)
北海道時代の485系1500番代もうひとつの特徴は密着式自動連結器と自動ブレーキのホースを装備していたことです。これは運用開始後交換されたのですが、冬季に故障した際に機関車によって速やかに救援するためという、かなりありがたくない理由によるものです。
なおクハ481-1503は2007(平成19)年に大改造され、ジョイフルトレイン「彩」クロ481-1503となっています。1500番代で最後まで残る車両になりそうですが、原型を失っているで、実はまともに写真を撮っていません。
1978(昭和53)年に781系900番代が開発され、冬季の試運転を経て営業運転を開始。485系1500番代は1980(昭和55)年ま で引き続き使用されました。そして1980(昭和55)年に781系量産車が登場した時点で「いしかり」運用から撤退。6~9月にかけて全車青森運転所に転属しました。

(「はつかり」クハ481-1507・1982年8月)
485系1500番代はクハ481形1500番代の連結器を密着連結器に、台車をTR69G形に交換し。また電動車の台車をDT32E形に交換した以外は 原型のまま運用に入りました。そして他の485系と混結されて「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「いなほ」「白鳥」に充当されました。
クハ481-1507は2006(平成18)年に廃車されていますが、これはクハ481形1500番代廃車第1号です。
1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で、青森運転所の485系に大きな変化がありました。食堂車、グリーン車付の12両編成を「白鳥」「鳥海」に、グリーン車付9両編成を「いなほ」「はつかり」に充当し、485系1500番代充当編成も2種類になりました。

(「いなほ」クハ481-1502・新潟・1983(昭和58)年8月)
クハ481-1502は2007(平成19)年に1503とともにジョイフルトレイン「彩」クロ481-1502に大改造され、原型を失いました。
中間電動車は全車1985(昭和60)年2月に向日町運転所に転属しましたが、翌1986(昭和61)年11月に上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に再転属しています。
一方クハ481形は1502~1505、1507が1986(昭和61)年に上沼垂運転区に転属。「いなほ」「北越」「雷鳥」などに充当され、後に「白鳥」も担当しています。
上沼垂編成は塗色を上沼垂色に変更するとともに、指定席車の座席を交換し、ハイデッキ構造化などのグレードアップ改造を実施しました。

(「北越」クハ481-1504・谷浜・1989年8月)
クハ481-1504、1505は2002(平成14)年2月に勝田車両センターに転属し、波動輸送用K60編成となりました。晩年はドルフィンカラーとなりましたが、2013(平成25)年1月に廃車されました。

(クハ48-1505・勝田・2009年6月2日)
青森に残ったクハ481形1500番代のうち、1506は1992(平成4)年に南秋田運転所に転属したのち、1997(平成9)年に新潟車両センターに転属しました。

(「はつかり」クハ481-1506・尾久・1982年8月)
ク ハ481-1506は2000(平成12)年にリニューアル改造されてクハ481-3506となり、原型を失いました。クハ481-3506は新潟車両セ ンターR24編成に組成されましたが、羽越本線の脱線事故に遭い2007(平成19)年3月31日に廃車されています。
なお中間電動車は2001(平成13)~2002(平成14)年にかけて全車廃車されました。
1508は1987(昭和62)年に南秋田運転所に転属後、1992(平成4)年に東青森運転所に一旦戻り、さらに2000(平成12)年に新潟車両センターに転属しました。
1508は新潟転属後一旦上沼垂色となりましたが、2008(平成20)年に国鉄色に再塗装され、現在に至ります。

(「なつかしの青森いなほ」クハ481-1508・新崎~早通・2015年3月21日)
厳密に言えばクハ481形1500番代をベースとした改造車はまだ残るのですが、4灯ライト車はこの1508が最後です。
団臨の詳細はJR東日本新潟支社にアップされています。
5月23日
新潟10時21分発、犀潟12時26分着
犀潟12時40分発、越後湯沢13時58分着(ほくほく線経由)
越後湯沢14時12分発、新発田16時28分着(羽越本線経由)
新発田16時50分発~新潟17時40分着
犀潟と越後湯沢、新発田でヘッドマーク回転イベントを実施する予定
5月30日
新潟9時30分発、酒田11時54分着(ほぼ「いなほ81号」のスジ)
酒田14時18分発、新潟17時40分着
両列車ともインターネット抽選予約販売となるようですが、競争率がかなり高そうですね。
いろいろ思い入れがある車両なので最後の姿を撮影するか、乗車するか悩みどころです。