
(旧熊ノ平信号場・2015年3月30日)
廃止された横川~軽井沢間の碓氷峠は66.7‰という国鉄・JR路線で最も急勾配の区間として有名で、1893(明治26)年4月1日にアプト式で開業しました。
アプト式というのはレールの間に設置されたラックレールと、機関車の車軸中央部に設けられた歯車を噛み合わせることで登坂力を得る方式。日本では碓氷峠と大井川鐵道井川線など採用例が非常に少ないです。66.7‰区間でラックレールが設置されたのは丸山信号場~矢ヶ崎信号場間で、その間に列車交換が可能でなおかつ蒸気機関車への給水設備を備えた信号場として熊ノ平信号場が設置されました。
66.7‰の勾配区間では列車を停車させることができないので、構内の勾配を緩和しています。しかし信号場の前後にはトンネルが設置されいるため、列車交換をするための十分な有効長を設けることができませんでした。そこで熊ノ平信号場に進入した列車は一旦突っ込み線に進入し、ポイント切り換え後にバックして押し下げ線に進入後再び前進して出発するという変則的なスイッチバック構造を採用していました。
1961(昭和36)年に横川~軽井沢間の輸送力増強のため、粘着方式の軌道を着工。1963(昭和36)年7月15日に粘着方式の軌道が開通しましたが、9月30日まではアプト式も併用し、アプト式廃止までスイッチバックは残っていました。
熊ノ平信号場の軽井沢側にはトンネルが3本並んでいます。一番左側の線路のないトンネルが旧下り突っ込み線です。真ん中のトンネルが本線で、粘着方式切り換え後の複線化で下り線となりました。一番右側のトンネルはアプト式時代は上り押し下げ線でしたが、粘着方式に切り換える際に本線に転用。複線化で上り線となりました。

(旧熊ノ平信号場・2015年3月30日)
一番左側の線路のないトンネルが旧下り突っ込み線です。真ん中のトンネルが本線で、粘着方式切り換え後の複線化で下り線となりました。一番右側のトンネルはアプト式時代は上り押し下げ線でしたが、粘着方式に切り換える際に本線に転用。複線化で上り線となりました。
こちらは横川側。

(旧熊ノ平信号場・2015年3月30日)
真ん中がアプト式の本線。右側が下り押し下げ線です。左側の上り突っ込み線は粘着方式切り換え後の複線化で下り本線のトンネルに転用されました。
熊ノ平信号場は1906(明治39)年に駅に昇格。対向式のホームが設置されましたが、下り線ホーム横川側は押上線の線路に併せてカーブしています。

(旧熊ノ平信号場・2015年3月30日)
大正時代は上下線の間に通過線を設けていたことがあり、構内は割と広くなっています。
1912(大正元)年には電化されました。これは蒸気機関車の煤煙がひどかったためで、日本の幹線では最初の電化となります。そして国鉄初の電気機関車10000形(EC40形)が投入されました。
なおアプト式時代は第3軌条方式で電化され、架空線方式となったのは粘着運転方式に切り換えた時です。
1937(昭和12)年には熊ノ平変電所が設置されました。

(旧熊ノ平信号場・2015年3月30日)
この変電所は横川~軽井沢間の廃止まで使用されていました。
粘着方式への切り換えは段階的に実施。まず1963(昭和38)年7月15日に粘着方式の軌道を新設しました。前述のとおり、軽井沢側の上り押し下げ線を粘着方式の線路に切り換えましたが、横川側は複線断面のトンネルを新設。列車交換のための有効長を確保しました。ちなみにトンネルは途中で断面が小さくなっています。

(旧熊ノ平信号場・2015年3月30日)
1963(昭和38)年9月30日のアプト区間廃止後、上り突っ込み線のトンネルを活用して粘着方式の下り本線を1966(昭和41)年7月2日に増設して複線化。しかし複線化前の1966(昭和41)年2月1日に熊ノ平駅は信号場に降格されました。
信越本線の廃止後、旧熊ノ平信号場に立ち入ることはできませんでしたが、横川駅からの遊歩道「アプトの道」の終点となり、国道18号線への階段を新設。国道18号線脇には駐車場も設けら見学しやすくなりました。
横川~軽井沢間は廃止後18年を経た今もレールも架線も残されていて、今でも列車が走ってきそうな雰囲気が残っています。