【ブルートレインの思い出】(その3)「藤沢へ通った日々」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

1982(昭和57)年から祖父母宅のある神奈川県相模原市に移り住んだのですが、しばらくは上野に通っていました。そして東北・上越新幹線開業後は、中学校のクラスメイトたちと大船~藤沢間のカーブに通って、ブルートレインを撮影するようになりました。

(「さくら」EF65 1098・大船~藤沢・1983年)
現在この場所には跨線橋があり、踏切は廃止されています。
地元の小田急江ノ島線東林間駅から初電に乗って藤沢駅まで行って、このカーブまで走って行ったわけですが、途中で「出雲/紀伊」に追い越されてしまって撮影できなかったのが残念でした。
ここは走り去る客車の姿もいい感じ撮影できたので結構好きなポイントでした。

20系は急行「銀河」と臨時「あさかぜ」のみとなっていましたが、それでもまだ元気な姿を見ることができました。

(「銀河」カヤ21・大船~藤沢・1983年)
丸妻のスタイルは流麗でした。

14系では丸みのある折妻の貫通構造に変化。このデザインは24系、24系25形の緩急車にも採用されています。

(「みずほ」スハネフ14・大船~藤沢・1983年)
貫通ホロを妻面に格納できるようにしてあり、意外と凝ったデザインでしたが、24系25形100番代では製造コスト低減のために構造を簡素化。完全な平妻となり、ホロも剥き出しになっています。その後24系25形200番代と14系15形では、分割併合時の作業環境改善のために後退角がついています。

24系25形の電源車は、なんとなくブルートレインの顔的な印象があります。

(「富士」カニ24・大船~藤沢・1983年)
特にひげがついたカニ24形0番代の顔こそブルートレインという感じでした。

カニ24形100番代は平妻となり、端正とは言い難いデザインでした。

(「あさかぜ」カニ24-100・大船~藤沢・1983年)
東京口では「あさかぜ」「瀬戸」だけの顔でしたね。

この頃は午前中ブルートレインを撮影するためにずっと待機していたものです。その後は江ノ電を見に行ったりして遊んでいましたね。