【ブルートレインの思い出】(その2)「上野口ブルートレインを撮影した1982年頃」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

4年間の札幌生活の後、1980(昭和55)年8月に父親の転勤で本州へ戻ることになりました。しかし関東ではなく新潟県の小出町で、ブルートレイン「北陸」は深夜に通過する場所。もっとも181系「とき」がまだ健在でしたので、そういった意味ではラッキーではありましたが(笑
1982(昭和57)年には高校受験の準備で東京の予備校の春期講習に通うことになり、その時に上野口のブルートレインを何度か見に行きましたが、そのときはちゃんとしたカメラを持っていけなかったため、まともな写真が残っていません。ちゃんと撮影するようになったのはその年の夏からで、1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で廃止される予定だった特急、急行を中心に撮影しながら、上野口のブルートレインも撮影しました。
上野口の夜行特急で最大勢力を誇っていたのが「ゆうづる」で、7往復運行されていました。そのうちブルートレインが4往復設定されていました。

(「ゆうづる(推進回送)」EF80 34・鶯谷・1982年8月)
1982(昭和57)年当時のブルートレイン「ゆうづる」は青森運転所の24系24形1往復と24系25形2往復。そして尾久客車区の14系14形を使用した季節列車(写真)を設定。ちなみに上野口のブルートレインで24系25形を投入したのは「ゆうづる」が最初です。
上野~平(現・いわき)間を牽引したのは常磐線電化のパイオニアEF80形。この頃は「ゆうづる」はEF80形が牽引し、EF81形は急行「十和田」を牽引していましたが、この4年後の1986(昭和61)年までにEF80形は全機廃車されています。なお14系14形の季節「ゆうづる」は1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で廃止されました。
ところで上野口のブルートレインといえば、上野~尾久客車区間の推進回送が名物となっています。上野駅に到着した列車を機関車がそのまま後押しすることで、尾久客車区へ回送する手間と時間を省略したものですが、客車が音もなく接近してきて、最後に機関車のブロアー音が聞こえてくるのが印象的です。

青森運転所の24系は尾久客車区に入区したあと、EF80形を付け替えて東大宮操車場(現・大宮総合車両センター)まで回送していました。

(EF80 26・川口・1982年10月)
直流区間なのに、なぜか片パンで走ってます。
テールマークは「ゆうづる」のままで、東北本線を北上していたわけです。

(カヤ24・川口・1982年10月)
オール24系24形のオール白帯編成。このころはA寝台車が外されていました。

東北本線のブルートレインのエース格は「あけぼの」。奥羽本線経由で上野~秋田・青森間を運行していた「あけぼの」は1982(昭和57)年8月当時2往復設定されていましたが1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で3往復に増発されました。そして「あけぼの」と言えばEF65PFです。

(「あけぼの」EF65 1001・鶯谷・1982年8月)
EF65PFことEF65形1000番代は、東北本線、上越線の高速列車牽引用として開発された電気機関車です。東北本線の直流電化区間は東京~黒磯間と短く、20系ブルートレインや10000系高速貨車の列車も少なく、20系ブルートレイン用のEF65形500番代Pと高速貨車用のEF65形500番代Fを少数用意するのは効率的ではなかったため、PとFの機能を兼ね備えた機関車として開発されました。重連総括制御と貫通扉を備えたこの前面スタイルは東北本線と上越線のためにあったわけですが、1001~1016は新製当初つらら切りがついておらず、後付けされています。話が逸れましたが、EF65PFは「あけぼの」を牽引するために登場した機関車でもあるわけです。

「あけぼの」は最後まで残った20系特急でしたが、自分は一度見ただけで、この24系の方がなじみ深いです。

(「あけぼの」オハネフ24・日暮里・1982年11月)
この「あけぼの」が後に山形新幹線開業の影響で1往復が北上線経由に変更され、もう1往復が羽越本線経由の「鳥海」となり、さらに秋田新幹線開業の影響で北上線経由が廃止され、「鳥海」が「あけぼの」に改称されるとは、この当時夢にも思いませんでした。

1982(昭和57)年11月15日ダイヤ改正では上野~盛岡間のブルートレイン「北星」が廃止となりました。

(「北星」EF65 1017・鶯谷・1982年8月)
1975(昭和50)年に設定された当初は20系をEF58形が牽引していましたが、1978(昭和53)年に14系14形に置き換えられ、後にEF65PFに牽引機を変更しています。
1979(昭和54)年にイラスト入りテールマークは装着されましたが、ヘッドマークを装着することなく廃止されました。

(「北星」スハネフ14・日暮里・1982年11月)
同じくヘッドマークを装着することなく廃止されたブルートレインは「安芸」「いなば」「紀伊」があります。

「北星」と同時に登場した「北陸」は、「北星」と対照的でした。

(「北陸」EF64 1006・日暮里・1982年11月)
登場時は「北星」同様20系をEF58形が牽引していましたが、1978(昭和53)年に14系14形に置き換えられ、1980(昭和55)年には牽引機がEF64形1000番代となりました。

(「北陸」スハネフ14・日暮里・1982年11月)
このコンビは2010(平成22)年3月に廃止されるまで続きました。

1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で、羽越本線経由で上野~秋田間に設定されたのが「出羽」です。

(「出羽」EF64 1008・鶯谷・1982年11月)
同区間を運行していた夜行急行「鳥海」を特急に格上げしたような列車でしたが、「出羽」の名称は東北・奥羽・陸羽西線経由で上野~酒田間を結んだ夜行急行から引き継いでいます。

1984(昭和59)年頃には「あけぼの」「ゆうづる」のヘッドマークが復活、「北陸」「出羽」にヘッドマークが新設されました。

(「あけぼの」EF65 1051・日暮里・1985年)

(「北陸」EF64 1028・日暮里・1985年)

(「出羽」EF64 1006・日暮里・1985年)
「出羽」は1993(平成5)年に廃止され、「北陸」「あけぼの」「ゆうづる」もすでになくなってしまい、時代の流れを感じてしまいました。