485系「あいづライナー」がとうとう廃止に【2015年3月14日ダイヤ改正】 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

JR東日本仙台支社のプレスリリース によると、485系の老朽化を理由に2015年3月14日ダイヤ改正で快速「あいづライナー」を廃止するそうです。快速「あいづライナー」の前身は上野~会津若松間に運転されていた特急「あいづ」ですが、現在に至るまでかなりの逸話がある列車です。

クロ481形登場のきっかけを作った!

(「あいづ」クロ481-101・上野・1982年)
磐越西線最初の特急は1965(昭和40)年10月1日に設定された「やまばと」です。「やまばと」はキハ82系を使用し、上野~山形間の編成と上野~会津若松間の編成を併結していました。会津若松行きは通称「会津やまばと」と呼ばれていたそうです。1968(昭和43)年10月1日のダイヤ改正で磐越西線は電化されるのに伴って、「あいづ」は分離独立。仙台運転所の483・485系が使用されることになりました。
すでに「ひばり」「やまびこ」に運用されていた仙台運転所の483・485系はサロ481形、サシ481形を各1両組み込んだ6M4Tの10両編成で組成されていました。ところが、磐越西線の線路有効長の関係で9両に短縮する必要が生じました。
今の時代なら食堂車なしの9両になるところでしょうが、当時は食堂車のない特急列車などあり得ない時代。しかも「あいづ」と同時に電車化された「やまばと」は板谷峠を越えるため6M3Tを維持しなければなりません。そこで1号車を一等車(現・グリーン車)として9両編成を組成することになり、新形式のクロ481形が5両新製されました。さらに仙台所属のサロ481-19~25を先頭車化改造してクロ481-51~55としています。つまり「あいづ」のためにクロ481形が登場したわけです。
クロ481形はその後100番代が4両増備され、全14両となりました。その後一部「ひばり」と「やまびこ」編成の12両編成化、一部「ひばり」の13両編成化。そして「やまばと」の運用を秋田運転所に移管したため、「あいづ」は「ひたち」と共通運用となりました。

東北特急初の食堂車非連結列車に
1978(昭和53)年10月2日のダイヤ改正では、定員を確保するためサシ481形をサハ481形に置き換えて食堂車を廃止。東北特急で初めて食堂車のない列車となりました。

(「あいづ」クハ481-21・会津若松・1980年8月)
またこのダイヤ改正では愛称幕をイラスト化。「あいづ」もクハ481形200・300番代に磐梯山と猪苗代湖をイメージしたイラストマークが採用されていますが、 この当時ボンネット型はイラストマークの対象外でした。

「あいづ」のために「つばさ」が走る。
1982(昭和57)年6月23日に東北新幹線が暫定開業。さらに1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で東北特急の運行体系は大きく変わりましたが、当時は大宮始発だったこともあり「あいづ」は存続しました。ただし担当は秋田運転所に移管し、「つばさ」「やまばと」と共通運用となりました。

(「あいづ」クハ481・日暮里・1982年11月)
東北新幹線の開業で「つばさ」は基本的に福島~秋田・青森間の運行となり、一部「やまばと」も統合しましたが、残った「やまばと」1.5往復と「つばさ」1.5往復は上野乗り入れで存続。これも東北新幹線が大宮始発だったことも関係していますが、「つばさ」に関しては「あいづ」「やまばと」への送り込み運用も兼ねていたのは事実です。
なお、このダイヤ改正では「つばさ」「やまばと」編成も食堂車と電動車ユニットを外した9両編成としていたので、有効長の問題はありませんでしたが、同時にクロ481形の運用が消滅。すでに南福岡電車区に転属して「みどり」に充当されていた仲間の後を追って九州へ旅立って行きました。そしてボンネット型先頭車は「あいづ」から完全撤退しました。
1985(昭和60)年3月14日の東北新幹線上野開業で「やまばと」は廃止されましたが「あいづ」は存続。そのため上野始発の「つばさ」が1往復だけ残されました。

「あいづ」のための専用編成を用意
1992(平成4)年7月1日に山形新幹線が開業。「つばさ」が廃止されたため、勝田電車区に運用を移管。「ひたち」と共通運用の485系7両編成となりました。この編成はグリーン車を組み込んでいたため専用編成が用意され、送り込み運用のためにグリーン車付きの「ひたち」も復活しました。

専用塗色の観光特急「ビバあいづ」
特急「あいづ」は1993(平成5)年11月30日で廃止されましたが、その翌日から「ビバあいづ」が郡山~会津若松間に設定されました。
編成は勝田電車区から仙台運転所に転属し、専用塗色となった6両編成。3号車はフリースペースのインビテーションカーとされました。1編成しかなかったので検査時は勝田電車区のひたちカラー編成や、青森運転所の国鉄色編成が代走したこともありました。
2002年(平成14)年3月23日に、磐越西線に土曜・休日ダイヤが導入され、それにともなって土曜・休日の列車名を「ホリデービバあいづ」に改称。しかし2002(平成14)年12月1日から、青森運転所から転属してきた485系6両編成による「あいづ」「ホリデーあいづ」の運行が始まり、「ビバあいづ」「ホリデービバあいづ」の運行は終了。「ビバあいづ」編成は4両編成に短縮され、2003(平成15)年に勝田電車区に再転属してK40編成となり、波動輸送に使用されました。転属後しばらくは「ビバあいづ」塗色のままで使用されていました。

(クロハ481-1501・大宮・2005年2月26日)
K40編成は2013(平成25)年に廃車されました。

ヘッドマークをそのままに快速化
青森運転所から転属した485系によって運行を開始した「あいづ」「ホリデーあいづ」は2003(平成15)年10月1日に快速に格下げされ「あいづライナー」となりました。しかし初代「あいづライナー」は短命に終わり、が2004(平成16)年8月31日に休止し、10月16日に廃止されています。

首都圏始発が復活!
「あいづライナー」廃止後の2005(平成17)年7月1日に「あいづ」が復活しました。車両は「あいづライナー」に使用された編成をリニューアル改造したもので、塗色も前面デザインも一新されたものでした。

(「アクセスあいづ」クハ481-1017・郡山・2005年9月14日)
これは「あいづディスティニーションキャンペーン」の一環で9月30日までの期間限定運行としたもので、7月1日に会津若松~喜多方間に「オープニングあいづ」を運行し、平日は郡山~会津若松間に「アクセスあいづ」、土曜・休日は新宿~喜多方間に「あいづ」を運行しました。
この編成は運行終了後再改造され、東武直通特急用として小山車両センターに転属となりました。

全身真っ赤のあかべぇ塗装で上野始発の「あいづ」が復活
2006(平成18)年には「この夏もあいづへ2006キャンペーン」の一環として、ふたたび「あいづ」が登場しました。車両は新たに青森車両センターから転属してきた編成をリニューアルしたものですが。今回は車体には手を加えなかったものの、真っ赤なあかべぇ塗装のA1・A2編成となりました。同時にヘッドマークのデザインもあかべぇに一新しています。

(「あいづ」クハ481-1016・広田~会津若松・2007年8月26日)
7月29日~9月30日までの土曜・休日は上野~喜多方間の「あいづ」、平日は仙台~喜多方間の「仙台あいづ」として運行。
そして編成を使用した快速「あいづライナーも」復活しています。

583系も登場!
2007(平成19)年~2010(平成22)年の夏もこの編成を使用した「あいづ」を運行しました。なお「あいづ」運行時や検査時の「あいづライナー」には仙台車両センターの583系が充当されました。

(「あいづライナー」クハネ583-8・磐梯町~東長原・2007年8月26日)
個人的にはこの583系「あいづライナー」はかなり好きでした。

485系1500番代のリバイバル運転
2009(平成21)年7月4日の下り「あいづ」と7月5日の上り「あいづ」は新潟車両センターの485系T18編成を使用。

(クハ481-1508・会津若松~堂島・2009年7月4日)
クハ481-1508は南秋田運転所所属時代に「あいづ」に使用されたことがあるので、ある意味リバイバル運転だったといえますね。

国鉄色が復活
「あいづライナー」に使用されていた485系あかべぇA1・A2編成は2011(平成23)年に国鉄色に塗り戻され、6月2日から「あいづライナー」の運用に復帰しました。

(「あいづライナー」クハ481-1016・郡山~喜久田・2011年6月5日)
しかしヘッドマークはあかべぇのままでした。

また同年7月23日には上野~喜多方間の団体臨時列車を運転。使用されたのは新潟車両センターのK1編成でした。

(クハ481-346・久喜・2011年7月23日)
9月23日にも仙台車両センターの485系A1・A2編成による団体臨時列車が上野~喜多方間に設定されましたが、豪雨の影響で運転区間を郡山~喜多方間に短縮しています。

出戻ってきた東武直通編成
2005(平成17)年に「あいづ」に使用されたあと小山車両センターに転属した485系リニューアル編成は、2011(平成23)年に253系1000番代に置き換えられたため仙台車両センターに再転属しA3・A4編成となりました。そして側面にあかべぇの装飾をして、2012(平成24)年2月25日から「あいづライナー」の運用に入りました。

(「あいづライナー」クハ481-334・喜久田・2012年7月7日)
これによって国鉄色のA1・A2編成は予備車となりましたが、この塗色ももともと「あいづ」カラーなのでこれはこれでリバイバルとも言えるかもしれません。また583系は秋田車両センターに転属となり「あいづライナー」から姿を消しました。

消えたり復活したり、車両が頻繁に入れ替わったりと話題が豊富だった「あいづ」「あいづライナー」でしたが、485系と共に終焉を迎えようとしています。残念ではありますが、ここまでよく485系が生き残ったというべきでしょうか。

JR東日本は磐越西線の新たな観光列車として719系を改造した「フルーティア」を2015(平成27)年4月下旬から土曜・休日に運行することを発表 しています。

JR東日本仙台支社プレスリリース より)
「フルーティア」は2両編成で、1両をカフェカウンター車両とし、もう1両をテーブル付きの座席車とするそうです。

JR東日本仙台支社プレスリリース より)

JR東日本仙台支社プレスリリース より)
会津地方への観光列車としての役割を引き継ぐことになる「フルーティア」。しかし「あいづライナー」の持っていた日常の足という一面はなくなってしまいます、いずれにしても磐越西線が寂しくなってしまいますね。