
(EF65 501・小田原・2014年12月19日)
この角度で見ると黒Hゴム以外は往年の富士を彷彿とさせてくれますね。
ブルートレイン「富士」は1964(昭和39)年10月に東京~大分間の寝台特急として登場。これは「みずほ」の大分編成を独立させたかたちでしたが、1965(昭和40)年10月には運転区間を西鹿児島まで延長。所要時間は24時間を超える、日本最長距離列車となりました。
1974(昭和49)年には客車が20系から24系に置き換わり、さらに1976(昭和51)年には24系25形に置き換えられています。このころのTV番組で「富士」が紹介されたことからブルートレインブームが始まりました。
ブームが始まって程なくして、牽引機がEF65形500番代PからEF65形1000番代PFに置き換えられ、以後ブルトレ牽引機の代名詞はEF65PFとなりました。

(「富士」EF65 1101・草薙・1983年3月)
個人的にはEF65Pの方が好きでしたが、馴染みがあったのはPFの方でした。
1980(昭和55)年に運転区間を東京~宮崎間に短縮
このころは24系25形の14両編成で、1人用A寝台個室(のちのシングルDX)と食堂車を連結していましたが、食堂車のオシ24形だけが白帯で異彩を放っていました。
1985(昭和60)年に牽引機をEF66形に変更。同時にヘッドマークの意匠を変更しました。

(「富士」早川~根府川・EF66 49・2005年2月17日)
1986(昭和61)年に「カルテット」「ロビーカー」を相次いで連結して15両編成となり、JRに承継後の1989(平成元)年に「ソロ」を連結しました。そして1990(平成2)年に宮崎~南宮崎間を延長しています。
しかし1993(平成5)年に食堂車の営業を売店に切り換え、1997(平成9)年には東京~大分間に短縮するなど縮小が始まりました。
1999(平成11)年から24系25形9両と14系6両を併結した15両編成に変更されましたが、2002(平成14)年に24系25形7両と14系5両の12両編成に減車。
2005年3月1日に14系6両編成となり、「はやぶさ」と併結する体制となりました。同時にヘッドマークも変更されています。そして2009(平成21)年3月14日に「はやぶさ」とともに「富士」は廃止となりました。

(「富士」「はやぶさ」EF66 53・下関・2009年3月15日)
廃止から5年と9カ月を経て、団臨というかたちですが「富士」が復活したわけです。
しかも牽引機はブルートレインブームの立役者EF65 501!

(EF65 501・小田原・2014年12月19日)
客車は白帯の6両編成でした。もし尾久に留置してあるオシ24形やオロネ25形を連結していたら感涙ものだったでしょうが、贅沢は言えませんね。
さて、同じ日に2015年3月のダイヤ改正で「北斗星」の定期運転の終了が発表されました。これでブルートレインの定期運行は全て終了することになりました。まぁ最近の若い人たちは急行「はまなす」もブルートレイン認定しているし、たしかに車両はブルートレインなのですが、 年寄りな自分はブルートレイン=寝台特急なもので、すいません(笑
「北斗星」の臨時運行はまだあるようですが、それも8月下旬までのようです。そして「あけぼの」の設定廃止も時間の問題かと思われます。
このようなかたちのリバイバル列車があと何回運行されるかわかりませんが、せめて1編成ぐらい保存運転用に残してもらいたいものです。