くびき野レールパークに行ってきた | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

10月25~26日はくびき野レールパーク に行ってきました。

くびき野レールパークは、1971(昭和46)年に廃止された頸城鉄道の百間町駅跡にある施設で、頸城鉄道の車両が動態保存されています。基本は非公開ですが、2014年度は6月15日、7月20日、9月21日、そして10月25~26日が定期公開日となっていました。そのほかに不定期公開をする場合もあるようです。

さて、頸城鉄道は762mm軌間のいわゆる軽便鉄道です。軽便鉄道はバスやクルマの発達で1950~1970年代にほとんどが廃止され、頸城鉄道もその例外ではありませんでした。自分は当然ながら現役時代は知りませんが、幼い頃は消えゆく軽便鉄道の本が多数発刊されていたので、現役当時の写真を多く見ることができました。
頸城鉄道は1966(昭和41)年に新黒井~百間町間、飯室~浦川原が部分廃止され、1971(昭和46)年に残った百間町~飯室間が廃止されています。
百間町駅跡には本社と車庫が隣接していました。写真左側の建物が旧本社で、現在は軽便歴史資料館になっています。そして右のが車庫建屋です。

現在はこの車庫建屋内で車両を保存しています。シャッターの形状が廃止時とは違うようですが、それ以外は現役時に近いみたいです。

構内には留置線が3本と運転用の本線(?)が1線あります。
車庫建屋内には保存列車乗車用の対向式ホームが設置され、左側が1番乗り場、右側が2番堀場となります。

2番乗り場の奥にはターンテーブルが設置され、その上に2号機蒸気機関車が保存されていました。

2号機は1911(明治44)年コッペル社製の5t機で、当初は大丸組に入線しましたが、1915(大正4)年に頸城鉄道にいた3号機と交換して入線したのだとか。頸城鉄道入線時点では、同鉄道には旧2号機が存在しましたが、1918(大正7)年に旧2号機が売却され、その際にこの機関車の形式を2号機に改めました。
1966(昭和41)年まで現役で活躍した後、1972(昭和47)年に西武鉄道山口線に貸し出され、「兼信号」として活躍しました。その後1977(昭和52)年に里帰りしました。

2号機は自力走行することはできませんが、そのうち復活して欲しいものです。それにしても軽便鉄道らしい超小型ターンテールが可愛らしいですね。

そのほかの保存車両は、いったん兵庫県在住の個人に引き取られていたものが2004(平成16)年に里帰りして整備されました。
DC92は頸城鉄道で最後まで活躍した8tディーゼル機関車で2007(平成19)年に動態化されました。

もともとは1914(大正3)年コッペル社製の1号蒸気機関車で、1954(昭和29)年に協三工業でディーゼル機関車に改造しました。
エンジン出力は130psで、変速機は4速機械式なので、自動車のようなアクセルペダルとクラッチペダル、そしてシフトレバーが備わります。

動態保存運転では3速まで入るそうです。

ホジ3は廃止時まで活躍していたディーゼルカーです。

それまで使用していた単端式のガソリン動車ジ1、ジ2の収容力が小さかったため、輸送力を増やすことを目的として1931(昭和6)年、ボギー客車ホトク1にガソリンエンジンを搭載したのがホジ3です。
ちなみにホトク1は1914(大正3)年に日本初のお座敷客車として登場しました。
エンジンはハドソン製の直列6気筒4.85ℓエンジンと3段変速の変速機を搭載しましたが、1951(昭和26)年にいすゞ製の直列6気筒5.1ℓディーゼルエンジンに換装し、変速機も4段変速になっています。

なおエンジンサイズの関係で、車内にはエンジンをカバーする突起があります。

台車のひとつには逆転機を取り付けて動力台車化しました。

ガソリン動車化時はチェーンによる2軸駆動、ディーゼル動車化時にはロッドによる2軸駆動としていましたが、後に1軸駆動に改められました。
改造当初は車端部にデッキがありましたが、後に車体を延長して片隅式運転台としました。

ホジ3は2012(平成24)年に動態化され、DC92とともに活躍しています。

ハ6は1949(昭和24)年に国鉄魚沼線から移籍しました。

魚沼線の前身である魚沼鉄道時代に二等三等合造車のロハ1として製造。後に三等車化されてハ5となり、国有化後にケハ390に改番されました。
合造車の名残で側窓の4枚目と5枚目の柱が太くなっているほか、天井にも仕切りの後が残っています。

同型車のハ6は魚沼鉄道時代に復元して新潟県立自然科学館で保存されています。

ニフ1はハ4を荷物車に改造したものです。六甲山中にありましたが、車体の痛みが激しかったためパーツのみを保管し、2014(平成26)年にイメージ復元したものです。

もともとは青梅鉄道の車両で、魚沼鉄道にいったん移籍したものの、使用されることなく頸城鉄道に1919(大正8)年に入線してハ4となりました。

無蓋貨車ト5は1923(大正12)年製

荷重は5t。2011年に復元されました。動態運転では乗車することができるようにいすを設置してあります。


有蓋貨車ワ7は1914(大正3)年製造。

1960(昭和35)年に外販を鉄製に変更しました。

ワ14は元国鉄魚沼線ケワフ100です。

有蓋貨車は2両とも2011(平成23)年に復元しました。

動態保存運転はDC92の混合列車とホジ3が30分ごとに交代で運転。ホームのある車庫建屋を出発すると、旧浦川原まで引き上げて、本線を往復して車庫建屋に戻ってきます。

静かな町に響くディーゼルサウンドと警笛がのんびりしていていい雰囲気でした。

来年も行ってみたいな。