新山口駅がまだ小郡駅だった30年前はこんな感じでした | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

新山口駅は山陽本線と山陽新幹線の途中駅であり、山口線、宇部線の起点でもあります。新山口という駅名は2003(平成15)年10月1日に改称されたもので、それ以前は小郡という駅名でした。小郡駅は、1900(明治33)年12月3日の山陽鉄道三田尻(現・防府)~厚狭間開通に伴って開業しました。1906(明治39)年に山陽鉄道は国有化されています。
1909(明治42)年2月21日には大日本軌道山口支社の起点となり、県庁所在地の山口市へのルートができあがりましたが、1913(大正2)年2月20日には国鉄山口線が開業して大日本軌道山口支社線はわずか4年で廃止されました。
1925(大正14)年3月26日には宇部鉄道が本阿知須(現・阿知須)から延伸して小郡駅に乗り入れ。宇部鉄道は1943(昭和18)年5月1日に国有化され、また1928(昭和3)年に小郡機関庫(現・下関総合車両所運用研修センター新山口支所)が発足。現在の在来線の基礎ができあがりました。
1975(昭和50)年3月10日には山陽新幹線が開業。この時に国鉄より新山口駅への改称の打診があったそうですが、小郡町が拒否の姿勢を示したため実現しませんでした。しかし2003(平成15)年10月1日から「のぞみ」停車駅となるため、JR西日本が駅名改称を打診。この時は山口市と小郡町、阿知須町が2005(平成17)年5月1日に合併することが具体化してたため、改称が実現しました。
そんな新山口駅ですが、萩、津和野や山陰方面への「スーパーおき」や「SLやまぐち」の始発駅となっているほかは、ローカルな駅となっており、長大なホームが山陽本線全盛時の面影を残しているのみです。
山陽本線と宇部線ホームの間には工事列車用のホキ800形が留置されていました。

(ホキ1095・新山口・2011年5月21日)
宇部線ホームの向こうには保線基地と山陽新幹線新山口駅が見えます。
自分が初めてこの駅に行ったのは、いまから30年前の1984年のこと。もちろん当時は国鉄小郡駅でしたが、この時、同じ場所にはEF58形、EF60形、EF61形が留置されていました。

(EF58 100・小郡・1984年8月)
機関車の列は2列あって、手前にEF58形、EF60形を留置。奧にEF61形を留置していました。
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正でEF62形が下関機関区に転属し、東海道・山陽本線で荷物列車を牽引していた浜松、米原、広島、下関のEF58形が余剰となり、各地で疎開留置されましたが、小郡駅には100号機がいました。
同ダイヤ改正では貨物列車が大幅に合理化されたため貨物用機関車が大量に余剰となっています。旧型電気機関車はもちろんのこと、新型電気機関車でも初期タイプとなるEF60形に余剰車が発生しました。

(EF60 82・小郡・1984年8月)

(EF60 87・小郡・1984年8月)
EF60形の兄弟機で旅客用のEF61形はEF58形と共に荷物列車を牽引していましたが、EF58形ともどもEF62形に置き換えられました。

(EF61 5・小郡・1984年8月)
反対側にはEF60形がいて、手前はホームとかがあるので、車両全体を撮ることができなかったのが残念です。でも今となってはこれでも貴重な姿ですね。

(EF61 18・小郡・1984年8月)
このEF61形のスタイル、個人的にはもの凄く好きだったので、この引退はショックでしたねぇ。
というわけで、30年前の小郡駅の様子を振り返って見ました。