過疎ローカル線から特急街道にステップアップした内子線の残映 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

JR四国予讃本線向井原~伊予若宮信号場間は伊予長浜を経由するルートと内子を経由する短絡ルートにわかれていて、特急列車は短絡ルートを通過します。この区間のうち、新谷~内子間は内子線を高規格化し、一部ルートを変更して使用。変更された区間が廃線跡となりました。

内子線は1920(大正9)年5月1日に、愛媛鉄道の支線として若宮連絡所(現・若宮信号場)~内子を結ぶ762mm軌間の軽便鉄道として開業しました。そして1933(昭和8年)10月1日に国有化され愛媛線となりました。1935(昭和10)年10月6日には1,067mmに改軌。同時に起点を五郎駅に変更しています。

内子線の起点だったころの五郎駅は2面3線のホームを備えていました。現在は特急街道からも外れ、1面1線の無人駅となっていますが、構内は相変わらず広いままです。
予讃本線と内子線の分岐点は伊予大洲側の鉄橋を渡った先にありました。分岐点付近には浄化センターがあります。

写真左の建物が浄化センター。予讃本線は写真中央を走っています。奥に見える高架線が現在線で、扱い上は予讃本線の支線となっています。

浄化センターの南側の廃線跡は道路になっています。ここには踏切があったらしいです。

反対側を見ると、予讃本線支線の高架線が見えますね。

ここで内子線廃線跡と予讃本線支線が合流しています。

右側の道路が廃線跡です。
さて、この区間の予讃本線支線と予讃本線が分岐するのが伊予若宮信号所です。

軽便鉄道時代もここで分岐していて、当時は若宮連絡所と呼ばれていました。ただし軽便鉄道時代はここが起点なのに対して、現在はここが予讃本線支線の終点となります。

五郎~新谷間の一部が廃止され、残った区間は予讃本線支線に組み込まれたため、現在の内子線の起点はこの新谷となっています。

新谷から内子へ向かう列車は本来下り列車ですが、運転上は完全に予讃本線に組み込まれているため、実査には上り列車が走るという逆転現象が生じました。
五十崎の手前までは内子線を軌道強化していますが、五十崎の手前で現在線と旧線は分岐していました。

現在線から左へ分岐し、クルマが停まっている家の方向へ旧線は延びていたようです。
廃線跡は宅地化されて痕跡は残っていません。

この先の林の中にレールが残っていたらしいのですが、今回は確認できませんでした。

旧線は現在の五十崎駅の下を国道と共にくぐっていたようです。

この先の旧線の一部は国道に転用された模様。トンネルの跡なども見つけることができませんでした。

旧五十崎駅は現在の駅とはかなり離れた場所にあったそうです。

というか峠を挟んで反対にあるって、離れすぎですよね(笑

山を大きく迂回していた旧線は道路に転用され、内子駅を目指します。

現在線はトンネルで一気に抜けてしまっています。

現在の内子駅。写真左側の道路が旧線。旧内子駅はここではありませんでした。

駅前には旧内子駅に保存してあったC12や駅名標が移設されました。
向井原~内子間の予讃本線支線の南側を旧線が走っていました。

ここも道路になっています。
内子駅は町立図書情報館に建て替えられました。

沿線に高速道路が開通したため、廃線跡も一気に消えてしまった感じですね。