「あけぼの」定期運行終了でブルートレイン時代が終わった! | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

3月15日のダイヤ改正で「あけぼの」の定期運行が終了します。

(「あけぼの」EF64 1053・行田~熊谷・2013年5月13日)
一応多客期に臨時列車を運行すると発表していますが、ほとんどの夜行はそのパターンで消滅していますので「あけぼの」も同じ運命をたどることでしょう。
そして「あけぼの」の終了でブルートレイン時代は終わります。
えっ、まだ「北斗星」がある?
たしかに「北斗星」はブルートレインの客車を使っていますが、豪華夜行列車という新しいコンセプトを切り開いた列車であり、ビジネス主体だった本来的なブルートレインとは違う存在かなと思っています。つまり「あさかぜ」に始まったブルートレインの時代はこれにて終了だと思います。

そんな「あけぼの」ですが、運行経路が上越・羽越本線経由というのは、やっぱり「鳥海」の名称変更であって、利用こそはしましたが、あまり馴染めませんでした。個人的には東北本線・奥羽本線経由だった「あけぼの」こそ、本当の「あけぼの」だと思っています。

(「あけぼの」EF65 1016・鶯谷・1982年)
「あけぼの」は1970年に運行を開始しました。秋田地区の明るい未来=曙を願って命名されたと聞いています。最初に使用された客車は20系でした。牽引機は上野~黒磯間がEF65 1000番代、黒磯~福島間がED75 1000番代、福島~山形間がED78またはEF71、山形~青森間は電化前はDD51、電化後はED75 700番代が担当していました。

(「あけぼの」ED75 714・青森・1989年8月)
そんなわけで、「あけぼの」は交直両用電気機関車よりも直流機と交流機のイメージが強かったです。

ちなみに「あけぼの」は20系を最後まで使用したブルートレインです。最近の若い人達は銀河もブルートレインというそうですが、自分たちの頃は寝台特急=ブルートレインだったので、ここでは自分ルールで行きます(笑
そんな20系「あけぼの」を何度か見たことはありましたが、ポケットカメラでの撮影は全滅して、悔しい思いをしました。
後に急行「津軽」が20系化されたので、「あけぼの」っぽい姿を見ることはできました。

(「津軽」EF65 1042・鶯谷・1982年)
そして直流電化区間を牽引したEF65 1000番代、つまりEF65PF=「あけぼの」というイメージも非常に強く残っていました。PS17形パンタグラフを搭載した1001~1055号機のうち、1001~1051号は一時的に広島や下関に配置された機関車もありましたが、1970年代後半には宇都宮運転所に集められ、東北・上越系統の特急貨物や東北系統の優等列車牽引をしていました。
1978年以降EF65PFというと東京機関区に配置されたブルトレ牽引機の方が目立つ存在になりましたが、これまた個人的には九州特急はEF65 500番代Pの方が好きです。なんてわがままなんでしょうね(笑

という感じでしたが宇都宮運転所のEF65PFは製造年次の違いでバリエーションが豊富でした。
1次形(1001~1017)

(「あけぼの」EF65 1010・鶯谷・1982年)
東北・上越線系統にEF65PとEF65Fを配置するのは非効率だという考えから「EF65PとEF65Fの機能を兼ね備えた機関車を作っちゃえばいいじゃね?」ということで開発されたのがEF65PFです。ですのでEF65Pの持つ20系を110km/hで牽引するためのAREBブレーキ司令用電磁回路とKE72ジャンパ連結器、20系の空気バネに空気を供給する元空気ダメ管、20系と電話連絡するための回路とカニ22のパンタグラフを非常時に降ろすことができるカニパンスイッチ回路を備えたKE59形ジャンパ連結器を備えていました。
さらにEF65Fのための重連総括制御を装備。しかも貫通扉までつけて利便性は向上しています。このグループは東北本線のEF65F重連運用を置き換えるために登場したため、つらら切りを備えていませんでしたが、のちに上越線にも入線するようになってつらら切りを追加しました。ただし前照灯には追加していません。

2次車(1018~1022)

(「北星」EF65 1019・日暮里・1982年)
これは「あけぼの」ではなく「北星」ですが、このように東北本線のエースだったのですよ。
新製時より運転台窓と前照灯につらら切りを装備しています。またカニパンスイッチは省略されました。

3次車(1023~1039)

(「あけぼの」EF65 1031・日暮里・1982年)
3次車は前面のステップの長さが短くなりました。

4次車(1040~1049)

(「あけぼの」EF65 1042・日暮里・1982年)
4次車では、扇風機を装備したため、前面の通風口を廃止。またKE59ジャンパ連結器を廃止しましたが、その部分の穴は残っています。

5次車(1050~1051)

(「あけぼの」EF65 1051・日暮里・1984年)
KE59があった部分の穴が埋められました。
それはともかく、ヘッドマークが復活した姿は、さらにかっこいいですね。

「あけぼの」に転機が訪れたのは1990年9月1日。山形新幹線の建設に関連して「あけぼの」2往復中1往復を陸羽東線経由に変更。もう1往復を上越・羽越線経由に変更して「鳥海」に名称変更しています。そして1997年に「あけぼの」と「鳥海」が統合され、現在の姿になりました。
あれ? だったら今の「あけぼの」は正しい姿なのか?
そんな新生「あけぼの」は全区間EF81が牽引するようになりました。

(「あけぼの」EF81 138・日暮里・2007年8月26日)
個人的にはやっぱり違和感はあったんですけどね。

交流区間もED75ではなくEF81となり、何もかもが変わってしまった感がありました。

(「あけぼの」EF81 138・青森・2010年3月19日)
その後上野~長岡間をEF64 が牽引するようになったのが、最後の姿です。
EF64 1000番代は新車の頃から撮影しているので、もの凄く思い入れがある機関車でした。「北陸」「出羽」「鳥海」、そして「あけぼの」を牽引したその経歴は輝かしいものだと思います。

まぁそんなざれごとはどうでもいい話で、やっぱりブルトレ最後の牙城である「あけぼの」の定期運行終了は本当に寂しいって思いますね。