
この区間が開通したのは南武鉄道時代の1929年9月10日。直前の1929年8月21日には品鶴線新鶴見操車場が開設されており、同操車場に隣接した場所に市ノ坪駅を設置。当時南武鉄道には矢向~川崎河岸間の貨物支線があり、川崎河岸駅では川砂利を多摩川の船に移していたほか、東京製綱川崎工場が同支線を利用していました。また日本電気の工場が向河原駅に隣接していたことなど、それなりの需要はあったのかと思われます。しかし1969年に東京製綱川崎工場が閉鎖され、1972年5月25日には矢向~川崎河岸間が廃止。その影響なのか、1973年4月1日に向河原~新鶴見操車場間も廃止となりました。
自分はてっきり武蔵野南線開通の影響かと思っていたのですが、武蔵野南線の開業は市ノ坪短絡線廃止後の1976年3月1日と、ちょっと間が空いています。
さて、そんな市ノ坪短絡線ですが、路盤のほとんどは遊歩道として現存しています。駅前の地図でも容易に確認可能です。

現在の向河原駅は2面2線の対向式ホームとなっていますが、駅と日本電気玉川事業場の間にはヤードがありました。

現在駅のホームから川崎よりは更地となっています。が立川寄りにはNECの社員専用臨時改札口や、駐輪場が設置されています。

短絡線は駅の川崎寄りから右に分岐していました。

分岐部分の一部は土盛りが残っています。

分岐した先には老人ホームがあり、その先には架道橋の橋台が残っています。

それにしてもこの橋台、高さが低すぎて徒歩で通行するのも困難な気がします。
この枕木(?)は鉄道時代の柵の名残でしょうか?

ここから先は遊歩道となり、緩く右にカーブを描いたあと、左にカーブを描いています。

これは鉄道時代の柵でしょう。

そして品鶴線に合流していました。

ここで終わりです。わずか600mあまりでしょうか。

線路?

写真に見える高架線は1980年10月1日のMS分離で営業を開始した横須賀線の上り線。手前にある壁の向こう側を横須賀線下り線が通っています。現在は高架線の下を品鶴線下り線がくぐって新鶴見信号所(当時の新鶴見操車場)へ分岐しています。

もし市ノ坪短絡線が廃止されていなかったら、横須賀線下り線と平面交差していたのか、それとも高架線となって跨いでいたのか、今とはちょっと風景が違っていたかも知れないですね。