世界初の振り子式気動車、JR四国2000系の歴史 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

前回N2000系量産先行車の話に触れましたが、今回はJR四国2000系を総合的に考察しようと思います。というのもこの2000系はJR特急の歴史的に重要な意義を持っているからです。

(「南風」2003/「南風」2450形・多度津・2008年9月5日)
JR四国が高速バスに対抗するためには土讃本線山岳区間の最高速度を95km/hから120m/hに引き上げる必要があると判断しました。しかし土讃本線は山岳区間で急曲線も多く、最高速度が120km/hのキハ181系や最高速度110km/hのキハ185系もこの区間では最高速を95km/hに制限されていました。
曲線通過速度を上げるためには振り子式車両が必要不可欠。しかし、気動車の場合エンジンの回転による反力が振り子動作に悪影響を与えると考えられました。そこで互いに反対方向に回転するエンジンを2台搭載することで反力を相殺すること考え、キハ58形を使って振り子動作への影響を打ち消す試験を行ない、良好な結果を得られたので、振り子式気動車の開発に着手しました。
振り子車のパイオニア国鉄381系が採用したコロ式自然振り子装置は、重い床下機器が遠心力でカーブの外に投げ出される事を利用して、車体上部を最大5度内側に傾けて乗り心地を緩和するものですが、カーブ区間に入って遠心力を受けてから車体が傾斜する「振り子遅れ」が乗り心地を悪化させていました。また直線区間に戻ったあとしばらく車体が左右に揺れる「揺り戻し」も問題となっていました。
そこで国鉄時代から制御付き自然振り子装置の開発が進められ、紀勢本線用381系で長期営業試験を実施して実用化の見通しを得ていましたが、2000系にはこのシステムが採用されることになりました。
制御付き自然振り子装置とは、台車枠と振り子はりをアクチュエータで連結し、意図的に車体傾斜を制御させることができるようにしたものです。

(多度津工場・2009年5月23日)
簡単に言えば、カーブにさしかかったときに、アクチュエータを使ってあらかじめ車体を傾斜させておきます。

(2107・多度津工場・2009年5月23日)
カーブ区間は基本的に自然振り子装置と同じ動きをしますが、アクチュエーターで微調整をして傾斜を安定させます。そしてカーブの終わりからアクチュエータで自然に車体を直立させるというものです。
と言葉で言うと簡単ですが、当然走行区間のカーブや直線などの状況を把握し、適切なプログラムでアクチュエータを作動させなければ意味がありません。そこで、詳細な線路マップデータを作成して、車両の振り子制御装置にインストールしておき、走行する距離に応じてアクチュエータを作動させるプログラミングをします。しかしこのままでは滑走や空転で発生した距離の誤差を修正できませんので、ATS地上子などの信号を受信して絶対位置補正をして作動の正確性を高めています。
急勾配区間を通過するのでエンジンパワーも必要。ということで330psを発揮するコマツSA6D125H形エンジンを2台搭載しました。

(多度津工場・2009年5月23日)
これらのシステムを搭載した2000系の試作車は1898年に登場しました。

2000系試作車(TSE)
試作車は高松側から2001+2201+2101の3両編成で登場。
TSEは「Trans Shikoku Experimental」の略で、四国横断実験を意味します。当時この新システムがうまくいくかが未知数だったため、うまくいかなかったら特急投入は諦めて観光列車として使用することも考慮したのだそうです。そのため製造当初はキハ185系と併結することを考慮して密着式自動連結器を備えていました。また車内にはAV装置を備え、座席も窓側へ少し角度をつけて固定できるようにしていました。また2101にはソファも設置されていました。
試験の結果は良好で、1990年から量産車が登場。試作車は量産化改造され、その際にAV機器やソファを撤去して通常の座席に交換しています。
1993年に方向を転換。2101の貫通扉を板で塞ぎました。そして2003年に松山運転所に転属し、「宇和海」で使用されています。

2000形(2001)
非貫通形の先頭車で、振り子制御装置を搭載しています。新製当時は高松方でしたが、現在は宇和島方に方向転換しています。ちなみに非貫通の2000形唯一のオール普通車です。

(「宇和海」2001・松山・2008年9月5日)
TSEのロゴがあるかわりに愛称表示幕がないため、量産車とは明らかに異なる顔立ちをしていますね。

2100形(2101)
現在は高松方先頭車となる2101は、方向転換の際に貫通扉を板で塞いでいます。

(「宇和海」2101・松山・2008年9月5日)
こちらも愛称表示幕がないので、スッキリした顔立ちになっています。

2200形(2201)
量産車と異なり乗務員室、車販準備室、業務用室などを備えています。

(2201・松山・2008年9月5日)
定員も56名と、量産車の68名よりも少なくなっています。

2000系量産車
TSEの試験結果は良好だったため、1990年には量産車の製造が開始されました。形式の一部はTSEからの続番となっていますが、仕様はかなり異なる部分があります。
なお土佐くろしお鉄道所有車も存在し、車号を30として区別しています。

2000形(2002~2011、2030)
高知、宇和島方の非貫通先頭車で振り子制御装置を搭載。TSEと異なり、グリーン、普通合造車となりました。

愛称表示幕も備えられたほか、TSEのロゴの場所に車号が入りました。

2100形(2102~2123、2130)
高松方の先頭車で、貫通構造を採用。

(「南風」2130・琴平~塩入・2009年5月22日)
TSEの様な凝った構造ではなくシンプルな貫通扉を備えています。

2150形(2151~2157)
高知、宇和島方の交通構造の先頭車です。

(2153・多度津工場・2009年5月23日)
2000形同様振り子制御装置を搭載しています。

2200形(2202~2219、2230、2231)
中間車で、TSEにあった乗務員室、業務用室、車販準備室などを持たないため定員は68名に増加。

(2202・岡山・2009年8月17日)
2200形は高知と松山のみに配置されています。

N2000系量産先行車
高徳線の130km/h運転を行なうために1995年に製造されました。前回のブログに書いたとおり、エンジンを350psのSA6D125H-1Aとし、ディスクブレーキ化。外観は2000系の車体で異彩を放っています。形式は2000系+300となっていますが、車号は連番です。

2400形(2424)
高松方先頭車で、外観的には2100形と同じで性能面だけが異なります。

(「うずしお」2424・高松・2014年3月5日)
2424はN2000系でただ1両高知運転所に配置されていた時期がありましたが、現在は高松運転所に転属しています。

2450形(2458)
徳島、高知方先頭車で振り子制御装置を搭載。

(「うずしお」2458・高松・2014年3月5日)
量産先行車の新製当時は2000系のカラーリングをベースに貫通扉と乗降扉を赤くし、黄色い帯を太くして区別していましたが、現在はN2000系量産車に準じたカラーリングとなっています。

N2000系量産車
量産先行車の試験結果を反映させた量産車ですが、まず中間車の2500形が1996年に登場し、量産先行車とともに営業運転を開始。1997年から量産が本格化しました。

2400形(2425~2429)
前面スタイルとカラーリングが一新されました。

(「うずしお」2425・志度~オレンジタウン・2009年5月22日)
運転台は高床構造となり、安全性を強化しています。

2450形(2459~2463)
徳島、高知方の先頭車で振り子制御装置を搭載。

(「南風」2461・多度津・2008年9月5日)
ちなみにN2000系にはグリーン車、非貫通先頭車などが製造されていません。

2500形(2520~2523)
N2000系の中間車。

(2523・岡山・2009年8月17日)
N2000系の中間車は全車高松に配置されています。

2000系とN2000系がJR四国の高速化に貢献したことは間違いありません。しかし2000系は老朽化が進んでいて、後継車の開発が望まれています。そこでJR四国は車体傾斜装置を備えた8600系電車を投入して、予讃本線電化区間を走る2000系「しおかぜ」「いしづち」を置き換えることを発表。この時点でTSEを含めた初期車の一部は廃車となります。いよいよ2000系の終焉が近づいてきたようです。