大正天皇が崩御されたあと造営された多摩御陵は、関東初の御陵として話題となりました。この多摩御陵へ向かう路線として建設されたのが京王電気軌道御陵線です。路線は1945年1月21日に休止。1964年11月26日に廃止されましたが、現在も高架線の橋脚が残っています。
京王御陵線は北野駅から分岐していました。北野~山田間は現在も京王高尾線として使用されています。山田から右にカーブする形で御陵線の路盤がありました。
分岐後は道路に転用されました。
かつては中央線を高架で跨いでいましたが、手前の土手も高架線も撤去されています。そして武蔵横山駅跡には交番が建っています。
武蔵横山駅の北側には浅川があり、この川を渡った先に橋脚が残っています。
北側の橋脚は形状が異なりますね。
この後、左にカーブを描いていました。その先の団地の場所を通っていたものと思います。ここは廃線跡でしょうか?
そしてこの先に多摩御領前駅があったようです。
多摩御陵前駅はかなり立派な駅だったようですが、その面影は残っていません。唯一残るふたつの橋脚だけが廃線跡を物語っています。