
(「新幹線リレー」日暮里・1982年11月)
「新幹線リレー号」は新幹線アクセス列車でしたが、別に新幹線の乗車券を確認されるワケではないので、結構な数乗車した気がします(笑)
さて、余剰となった185系200番代の一部は、残存していた165系急行「ゆけむり」「草津」「はるな」そして東北系統の「なすの」の特急格上げに使用されました。
「谷川」は「ゆけむり」を統合して「新特急谷川」となり、ヘッドマークのデザインを一新。
。

(「新特急谷川」クハ185-316・上牧~水上・1991年)
同様に「あかぎ」は「はるな」を統合して「新特急あかぎ」となりました。

(「新特急あかぎ」クハ185-312・日暮里・1985年3月)
吾妻線系統は伝統ある「草津」の名称を引き継いで「新特急草津」に統合。

(「新特急草津」クハ185-308・鶯谷・1987年3月)
これによって特急「白根」の名称は消滅しています。
東北本線にも185系が進出し「新特急なすの」が誕生。

(「新特急なすの」クハ185-206・日暮里・1985年3月)
この新特急という名称は北関東の近距離特急に新たにつけられたもの。定期券で乗車可能で50km以内の自由席料金は急行料金と同額にするなどの制度が取り入れられたのが特徴でしたが、この頃はあまり利用する機会はありませんでした。
こうして185系200番代の運用範囲が広がりましたが、その一方で4編成を田町電車区に転属させて、同区の183系1000番代の置き換えを実施。「踊り子」を185系に統一しています。転属した4編成のうち、転属前に塗装を変更したのは1編成のみで、残りはしばらくの間は緑帯で活躍していました。

(「踊り子」クハ185-205・小田原・1985年6月30日)
また「踊り子」の編成は7両、10両、12両、15両とバラエティに富んだものとなりました。
さて185系ですが、正直あまり積極的に追いかけた記憶がありません。ブルトレ撮影時にやってきた普通列車を撮影したことぐらいでしょうか。

(クハ185-111・早川~根府川・1997年)

(クハ185-205・早川~根府川・1997年)
そのせいか普通列車の写真ばかり撮っていたようです。
新前橋電車区の185系もイベント列車などの合間に撮影したものばかり。

(「リゾート水上」クハ185-211・津久田~岩本・2002年11月10日)
新前橋車は1995~1996年にリニューアル工事が実施され、普通車の座席をリクライニングシートに交換して特急形らしい設備になりました。同時に塗色も一新されています。
また、「新特急谷川」は1997年にその名称を上越新幹線「たにがわ」に譲って「新特急水上」となり、さらに2002年には新特急の名称が消滅して「水上」となりました。
この頃はまだ「水上」の運転本数は多く、「リゾート水上」のような臨時列車も走っていました。もっともヘッドマークはそのままでしたが。
1999~2002年には田町電車区の185系もリニューアルされました。こちらも湘南色を連想させる新塗色となっています。

(「踊り子」クハ185-5・早川~根府川・2005年2月17日)
2002年にL特急の指定が解除されているため、ヘッドマークからLのロゴは消滅しています。
「新特急草津」も新特急の名称廃止、L特急解除で「草津」になりました。

(「草津」クハ185-313・新町~倉賀野・2006年3月26日)
「草津」系統にも臨時列車「草津白根」が設定されていましたが、こちらは専用のヘッドマークが用意されていました。

(「草津白根」クハ185-308・新町~倉賀野・2006年12月2日)
なお新前橋電車区~高崎車両センターの185系は2006年3月に大宮総合車両センターに転属し、OM編成に改められました。
「あかぎ」は通勤特急、ビジネス特急に特化した列車として活躍。

(「あかぎ」クハ185-206・高崎・2010年3月14日)
そのため撮影できる時間は非常に限られていました。
田町電車区の185系200番代は1996年から横浜~松本間の特急「はまかいじ」にも使用されています。

(「はまかいじ」クハ185-305・塩尻・2006年10月9日)
「はまかいじ」用編成として抜擢されたB3、B4、B5編成はATCを搭載。その結果クハ185形の定員は4名減少しています。
2010年に三島から伊豆箱根鉄道の大仁まで「踊り子」に乗車しました。実はこれが「踊り子」初乗車だったりします。

(「踊り子」クハ185-104・大仁・2010年1月7日)
「踊り子」といっても伊豆箱根鉄道線内は各駅停車なのですが。この後何度か東海道線内で「踊り子」に乗車する機会を得ましたが、リニューアル後の185系は結構乗るのが楽しみになりました。
東北線系統の特急「なすの」は1995年にその名称を東北新幹線に譲りました。そして運転本数も整理して通勤特急に特化。上りが「おはようとちぎ」、下りが「ホームタウンとちぎ」と名称変更されています。
「おはようとちぎ」は「北斗星」撮影時によく見かけたものです。

(「おはようとちぎ」クハ185-310・東鷲宮~栗橋・2010年7月2日)
しかし両列車は2010年12月に廃止。

(「ホームタウンとちぎ」クハ185-204・新宿・2010年11月28日)
この結果185系は東北本線の特急から撤退しました。
同時に「ウィークエンドあかぎ」も廃止されています。

(「ウィークエンドあかぎ」クハ185-210・新宿・2010年11月28日)
そればかりではなく「水上」の毎日運転が終了し、週末運転の臨時列車化されてしまいました。

(「水上」クハ185-314・井野~新前橋・2011年1月10日)
185系特急列車の縮減で、185系の衰退が始まるのかと思われましたが、実は新しい伝説が始まっていたのです。