
(3021・常北太田・2003年10月18日)
今回全線とまでは行きませんでしたが、鮎川から南高野付近までの廃線跡を探訪してきたので報告します。
鮎川駅は常磐線沿いにありましたが、現在は草地となっています。

左側にみえるガソリンスタンドなどの施設は当時のまま。駅舎はガソリンスタンドの向こうにありました。
線路はしばらく日立製作所の海側、国道245号線との間(写真右側)にありましたが、現在も敷地は残っています。

左側にある病院の先に桜川駅があったようです。
桜川駅の先で国道245号線と離れます。

この先は築堤となり、河原子駅跡に到達。

築堤から堀割になるなど、変化に富んだ状態はそのまま。住宅地に入ると大沼駅がありました。

交換駅だった名残で、踏切部分は複線になっていますが、ホームはなく、猫の遊び場となっていました。
このあたりは道路拡張工事が始まっているので、廃線跡が道路になってしまうのも時間の問題かもしれません。

水木駅跡を過ぎたあたりでふたたび築堤に。

この橋は道路橋みたいになっているのですが、ここは道路になるのかな?

常磐線を跨ぐあたり。

常磐線を見下ろすように踏みきりが残っています。

大甕駅跡。

大甕駅の先で再び常磐線をクロスするのですが、この先で道路の整備をしていました。

どうやらここから先はバス専用道路として整備するようです。
これはBRT(バス・ラピッド・トランジット)と言って、東日本大震災で被災した大船渡線の一部で採用された他、鹿島鉄道廃線跡でも採用されています。

BRTのメリットは渋滞が多い平行道路を避けて専用線を通すことで、バスをスムーズに運行できるというものです。

他の車両は進入禁止。一般道路との交差部分では遮断機を設けるのが主流ですが、日立では信号機を備えているようです。

このバス専用路線は久慈浜駅跡付近まで続いていました。

久慈浜駅跡はこんな感じに変貌したようです。

この先は歩道で整備中で、常磐線をくぐるトンネル付近まで続いていました。

トンネルは企業の施設に再利用。

トンネルの反対側は埋められていました。

廃線跡は道路脇に続いていましたが、一部は拡張されたようですね。

この先もまだ残っているようですので、いずれ探訪してみたいと思います。