そんな田町電車区所属車には特殊な運用がありました。それがお召し列車です。

(クハ183-1020・原宿・1982年)
お召し列車用の電車は貴賓車クロ157-1を含んだ157系5両編成で運行されていましたが、157系の老朽化に伴い183系1000番代に置き換えられました。157系と183系1000番代は屋根高さが異なるため凸凹編成となっていました。
上越線から姿を消した183系1000番代でしたが、スキー臨時列車「新雪」はそのまま残されました。幕張車は183系0番代から183系1000、1500番代が主力となったようで、事実上里帰りみたいになりました。

(「新雪」クハ183-1530・新前橋・1982年12月)
しかし、このダイヤ改正以降「新雪」の運用から183系1000番代田町車が撤退。代わりに185系200番代新前橋車が充当されるようになりました。また489系が充当されることもあり、183系の活躍の機会は狭められている感はありました。
「とき」で乗車しまくった183系1000番代に対して、乗車する機会ががなかった183系0番代ですが、飯田線の旧型国電を撮影しに行った際に初めて乗車しました。

(「あずさ」クハ183-33・新宿・1983年6月)
この頃の新宿駅1~2番線は中央本線優等列車ホームでしたが、現在は中央快速上り7~8番線となっています。
なお幕張車の「あずさ」運用は1986年11月で終了。
もともとそれほど183系に興味があったわけではなかったのですが、「踊り子」用183系1000番代は何度か撮影しました。

(「踊り子」クハ183-1024・大船~藤沢・1983年8月)
この頃の東海道線はブルートレインやEF58牽引の荷物列車など、いろいろな車両が走っていました。183系1000番代は前座的でしたが、それでも185系よりは堂々としている気がしたものです。

(「踊り子」クハ183-1024・戸塚~大船・1984年2月)
そんな「踊り子」用183系1000番代田町車は1985年に185系に統一されて撤退しました。
そして一時期田町電車区から183系1000番代が姿を消しました。
183系0番代の主たる舞台である房総地区ですが、1979年頃に一度「あやめ」を見たことがあるぐらいで、面白いぐらいに縁がなかった様です。で、なぜか房総特急を撮影したのが1984年頃だったとか。
1972年い東京地下駅が開業した際に運転を開始したのは内房線の「さざなみ」と外房線の「わかしお」でした。

(「さざなみ」クハ183-23・東京・1984年8月)

(「わかしお」クハ183-24・東京・1984年8月)
「さざなみ」「わかしお」は1991年から京葉線経由とに変更されたので、それ以降総武線東京地下駅にはやってこなくなりました。
1975年には総武本線の「しおさい」と成田線「あやめ」の運転が始まりました。

(「しおさい」クハ183-27・東京・1984年8月)

(「あやめ」クハ183-27・東京・1984年8月)
このL特急4兄弟は、近距離運転、低い表定速度などから特急乱発のネタにされていました。
1982年11月15日のダイヤ改正からは成田線経由で両国~銚子間を結んだ「すいごう」の運転も始まりましたが、時間帯が悪くてなかなか撮影することができませんでした。
183系1000番代新潟車は長野運転所にも転属し、「あずさ」に充当されました。

(「あずさ」クハ183-1017・高尾~相模湖・1984年11月4日)
長野運転所受け持ちの「あずさ」は「あさま」と共通運用の189系が使用されてきましたが、「あずさ」専用運用が設定されました。その後1986年11月1日のダイヤ改正で183系1000番代は松本運転所に転属。同時に幕張車は「あずさ」運用から撤退しました。そして国鉄からJR東日本に移行しています。
ところで、183系には485系から改造されたグループも存在します。最初に登場したのは1978年改造のサロ183形1050番代で、サロ481形を種車として4両が登場。これら4両は改造費を節約するため内外観は485系のまま。そのため乗降扉にはステップがあり床面高さは35mm高く、押込通風器の形状も異なるほか、窓高さも183系より55mm高いなどの相違があります。なおこの相違点は先頭車化改造車にも見られる特徴となっています。
サロ183形1050番代のうち1052、1053は1988年にサロ481形に復帰。残り2両は1989年にサハ481形300番代に再改造されて消滅しています。
1985~1986年にはサハ481、サハ489を改造したクハ182、183が登場しています。いずれも種車の便洗面所と乗降扉はそのまま使用し、反対側に運転台と乗降扉のユニットを結合しています。そして、種車の乗降扉のステップはそのまま残されているのが特徴。
内訳としてはサハ481形100番代をベースにクハ183形1000番代の運転台ユニットを取り付けたのがクハ182形。1985年に改造された1~2は車販準備室をそのまま残して登場。1986年には車販準備室を撤去した101~105が登場しました。

(クハ182-102・篭原・2004年2月22日)
クハ182形100番代は客室窓上部に行き先方向幕を新設し、さらに異彩を放ちました。
0番代は1999年に全車廃車となりましたが、100番代は101と102が大宮総合車両センターOM101、OM103編成に組み込まれています。2両とも「あずさ」グレードアップ編成に組み込まれた経験がありますが、自由席車だったため外観は塗装以外大きな変化はなく、「あずさ」色塗り替え後に撤去された特急シンボルマークも102では復元されました。
クハ183形100番代は1985~1986年にサハ489形とサハ481形100番代を改造。
101、102はサハ489形を改造したもので、クハ183-101はサハ489-7を改造したものです。

(「あずさ」クハ183-101・高尾~相模湖・1996年)
サハ489-7を改造したクハ183-101は「あずさ」グレードアップの対象となならず、後に「あずさ」カラーに塗り替えられた際に特急シンボルマークが撤去されました。
クハ183-103はサハ481-107を改造したもので、改造の際に車販準備室を撤去して定員を増やしています。

(「かいじ」クハ183-103・高尾~相模湖・1996年)
こちらは「あずさ」グレードアップ改造の対象指定席車に選ばれました。グレードアップ改造派高速バスに対抗して普通車指定席とグリーン車を中心に170mmのハイデッキ化や窓を100mm上方へ拡大するなどの改造が実施されました。塗装は大幅に変更。内装もリニューアルされ、普通車に関してはシートピッチを960、970mmに拡大。またグリーン車は1+2シート化されました。
グレードアップ改造の際に行き先方向幕は撤去。「あずさ」色へ塗り替えられた際に特急シンボルマークも撤去されました。
なおクハ183形100番代は2005年までに全車廃車となっています。
1986年にはサハ489を改造したクハ183形150番代が2両登場。100番代との違いは運転台ユニットがクハ481形1000番代と同じ寸法だということ。その結果全長が他のクハ183形よりも250mm長くなっています。また電動空気圧縮機(CP)も床下搭載となり、電動発電機(MG)容量が160kVAとなるなど相違点が多いのですが、最大の相違点は特急色時代のライト回りの赤帯がつり上がっていなかったことです。

(「あずさ」クハ183-152・高尾~相模湖・1996年)
150番代も「あずさ」グレードアップ改造の対象となりましたが、2003年にE257系に置き換えられて廃車となりました。
松本運転所の183系はE351系、E257系に置き換えられ、2002年12月で「あずさ」運用から撤退しました。183系としては1982年の新潟車「とき」撤退、1985年の田町車「踊り子」に続く3回目の特急運用撤退です。新潟車は上越新幹線の開業、田町車は185系への統合が撤退の理由でしたが、松本車は183系の老朽化が理由。他区への転属車はいずれも波動用であり、183系の衰退がここに本格化したことを意味していました。