
(「はつかり」クハネ583-20・雀宮~宇都宮・1982年8月)
寝台特急の代表格であるブルートレインのイメージと新幹線接続のイメージを持たせたクリーム1号に青15号のラインと車両限界一杯の重厚な車体が特徴的で、初めて見た時から強い憧れを抱いていました。
そんな581、583系を初めて見たのは1981年8月。愛媛の祖父母宅から新潟県小出町の自宅に帰る際、新大阪駅で「雷鳥」新潟行きを待っている合間にやってきた「雷鳥」が581、583系との出会いとなりました。

(「雷鳥」クハネ581-21・新大阪・1981年8月)
残念ながら乗車することはできませんでしたが、改めてこのカラーリングが好きになりました。しかし向日町運転所の581、583系特急を見たのはこれが最初で最後です。
1982年は上野口特急を熱心に撮影した年。当然ながら青森運転所の583系特急も数多く撮影しました。
東北特急のエース格だった「はつかり」。電車化された当初は583系で運行を開始したので583系のイメージが非常に強い特急でした。

(「はつかり」クハネ583-6・日暮里・1982年11月)
583系は485系と比べて定員が不足するため、13両編成で運転されていました。なおクハネ583は15両編成に対応した電源供給能力を持っていましたが、15両編成は実現しませんでした。
上野~青森間の昼行特急で常磐線経由で運転されたのが「みちのく」です。

(「みちのく」クハネ583-7・上野・1982年8月)
「みちのく」は1往復のみの運転だったため、とても地味な存在でした。
逆に寝台特急の主力は常磐線経由の「ゆうづる」。

(「ゆうづる」クハネ583・日暮里・1982年11月)
上野~青森間の夜行特急は「ゆうづる」の方がメジャーでした。
上野に到着した「ゆうづる」は東大宮まで回送されて寝台を解体し、「はつかり」「みちのく」として青森を目指していました。

(クハネ583-16・鶯谷・1982年8月)
回送列車は東北本線を走行するわけですが、583系の愛称表示幕は手動なので回送時もヘッドマークはそのままで運転されていました。
東北本線経由の夜行列車「はくつる」は1982年11月15日までは1往復のみの存在でした。

(「はくつる」クハネ583-22・雀宮~宇都宮・1982年8月)
11月の改正後で「ゆうづる」1往復が東北本線経由に変更され、「はくつる」は2往復に増えました。
1982年11月15日のダイヤ改正で「みちのく」は廃止。「はつかり」は盛岡~青森間の特急になったため、583系昼行特急は消滅しました。
しかし年末年始やお盆の時期には臨時特急「ふるさと」を上野~青森間に運転していました。

(「ふるさと」クハネ583・宇都宮・1982年12月30日)
この583系「ふるさと」に乗車しました。これが583系初乗車なのですが、不評だと言われたボックスシートが辛いという印象はありませんでした。
「ふるさと」はしばらくの間運転されていました。

(「ふるさと」クハネ583-37・宇都宮・1983年12月)
この「ふるさと」という名称も何となく好きでした。
1985年にはつくば博が開催され、アクセス列車「エキスポライナー」が多数運転されましたが、583系も使用されました。

(「エキスポライナー」クハネ583-18・取手・1985年)
583系使用列車は大宮~万博中央の運転が多かったように思います。
また向日町運転所の583系も助っ人に来ていました。

(「エキスポライナー」クハネ581・万博中央・1985年)
この列車が583系2回目の乗車となりました。
向日町運転所の581、583系は1982年に寝台特急から撤退して大幅に縮減されましたが、代わって急行「きたぐに」に使用されるようになりました。

(「きたぐに」クハネ581・谷浜・1989年8月)
「きたぐに」での運転開始に際してA寝台車サロネ581を導入。当初はこのように原色のままでした。
青森運転所の583系は上野口夜行列車を中心に活躍していましたが、まれに臨時「あけぼの」にも使用されました。

(「あけぼの」クハネ583・上野・1989年8月)
つい先日583系「あけぼの」が運転されましたが、また運転されるのでしょうか?
そして初めて583系の夜行にも乗車することができました。

(「ゆうづる」クハネ583・青森・1989年8月)
まさに「上野発の夜行列車降りた時から青森駅は」なのですが夏だし青函連絡船はありませんでした。
それにしても583系寝台特急の俊足っぷりには驚きましたね。