日本海縦貫線のエースといえばやっぱり「白鳥」です。

(「白鳥」クハ481-22・直江津~谷浜・1989年8月)
大阪~青森間1040kmを走破する世界最長距離電車特急だった「白鳥」ですが、1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で急行「しらゆき」を格上げ統合した福井~青森間の列車を加えて2往復となっていました。しかし福井「白鳥」は1985(昭和60)年3月14日に「北越」と「いなほ」に系統分離されて再び1往復に戻るとともに向日町運転所(現・吹田総合車両所京都支所)に移管。1986(昭和61)年11月1日には上沼垂運転区(旧・新潟運転所、現・新潟車両センター)移管されていました。
この頃はグレードアップして上沼垂色となった編成もいましたが、この時はボンネットの特急色でした。

(「白鳥」クハ481-27・直江津~谷浜・1989年8月)
特急色だったのはラッキーでしたが「白鳥」といえば200番代、300番代というイメージだっただけにボンネット車にはがっかりしました。
その後「白鳥」は1997(平成9)年3月に京都総合車両所(旧・向日町運転所、現・吹田総合車両所京都支所)に移管し、2001(平成13)年に「雷鳥」「サンダーバード」「北越」「いなほ」に分断されて消滅しました。
この界隈の主役といえば金沢~新潟間を走る「北越」。地味な存在の特急でしたが、1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で「はくたか」を取り込んで以降、福井「白鳥」も取り込んで5往復となっていました。

(「北越」クハ481-1500・谷浜・1989年8月)
上沼垂運転区の485系はグレードアップと塗色変更が進められていて、大好きだった1500番代もこんな姿になってしまいました。

(「北越」クハ481-1500・谷浜・1989年8月)
でも、まだ9両編成で走っていたのですが、現在の6両編成と比べると本線特急の感はありました。この時は5往復運転されていましたが、1997(平成9)年3月22日のほくほく線開業で3往復が「はくたか」に統合されて2往復に減少。しかし2001(平成13)年3月3日に「雷鳥」「白鳥」の系統分離統合で5往復に戻っています。
「北越」が登場した時は大阪~新潟間の特急でしたが、同区間の特急は「雷鳥」に統合されました。

(「雷鳥」クハ481-21・谷浜・1989年8月)
新潟「雷鳥」は自分も乗車した事があるので思い出深いですね。
1989(平成元)年3月11日から「スーパー雷鳥」の運転が始まりました。パノラマグリーン車を連結し、湖西線を130km/hで走破した「スーパー雷鳥」は新潟まで足を延ばしていたようですね。

(「スーパー雷鳥」クロ481-2000・谷浜・1989年8月)
クロ481-2000は681系「サンダーバード」の登場で「しらさぎ」に転じましたが、683系2000番代の投入で「雷鳥」に転じて生涯を終えました。

(「スーパー雷鳥」クハ481-300・谷浜・1989年8月)
自分が見た「スーパー雷鳥」色はこれっきりです。
この区間では上越新幹線接続の速達列車として「かがやき」が1988(昭和63)年13日から金沢~長岡間に運転開始しました。

(「かがやき」クハ481-300・谷浜・1989年8月)
「かがやき」は短編成ながら全車指定席。専用塗色でインパクトもありました。

(「かがやき」クハ481-300・谷浜・1989年8月)
この列車は人気だったようで、増結も度々行なわれていたようです。

(「かがやき」クハ481-300・谷浜・1989年8月)
1992(平成4)年3月14日には「かがやき」にグリーン車を連結し、6往復まで成長しました。
しかしほくほく線の開業で存在意義を失って廃止されました。
ともあれこの頃の北陸系統の485系は賑やかでした。
この年は北海道にも遠征しました。
往路は583系「ゆうづる」で青森に向かったのですが、青森では新幹線接続特急となった「はつかり」と再会を果たしました。

(「はつかり」クハ481-1000・青森・1989年8月)
こうやって485系と583系が並んでいると東北特急全盛期を彷彿とさせてくれますね。
青函トンネルの開通で「はつかり」として485系が再び北海道に進出しました。

(「はつかり」クハ481-1000・函館・1989年8月)
札幌と函館は気候が違うので485系もトラブルなく走っていました。そして485系最速の140km/h運転を青函トンネル区間で実施したのも「はつかり」です。
個人的には1500番代が走って来て欲しかったのですけどね。