ちなみに中央線快速の列車番号は2種類あります。
こちらは中央特快高尾行き827T。

こちらは904H快速東京行き。

(クハE233-53・四ッ谷・2012年11月14日)
同じく豊田車両センター所属のE233系ですが、4両+6両分割のH53編成を使用しています。
このように列車番号は3~4ケタの数字とアルファベットの組み合わせとなりますが、数字のうち下二桁の数字は運用の番号を示していて、1運用で奇数偶数を繰り返します。例えば827Tならば、下り27T~上り26T~下り27T~上り26Tという感じです。
そして上1~2ケタは始発駅の出発時間を表しています。したがって904Hは武蔵小金井9時16分始発の上り列車なので、904Hとなります。ちなみに折り返しは9時56分東京発高尾行きとなるので905H、その折り返しは11時21分高尾発の東京行きなので1104Hとなります。
最後のアルファベット表記ですが、現在の中央快速は編成で分けているようです。すなわち10両固定編成の運用を01T~85T運用(奇数)、4+6分割編成の運用を01~25H運用(奇数)として区別しています(平日ダイヤの場合)。でもT運用にH編成が入っているときもありますので、ある程度柔軟な運用を組んでいるかも知れませんが。
さて、JR東日本は運用の効率化とダイヤ回復の迅速化をはかるために、1路線1車両基地に統一し、その結果中央快速も豊田車両センターに集中配置されていますが、国鉄時代は3つの車両基地に分散配置して運用されていましたが、このころは所属区別にアルファベットを分けていたようです。
三鷹電車区所属車はA。1986(昭和61)年3月3日まで201系6+4両分割編成が中央快速を受け持っていました。

写真は201系900番代の量産化改造後の姿です。7+3両編成で三鷹電車区に新製配置された201系900番代は、1983(昭和58)年に量産化改造6+4両編成となりました。そして1986(昭和61)年3月3日の改正で転属せずにそのまま中央総武線用に転じました。
Hは武蔵小金井電車区配置車。2004(平成16)年3月13日まで中央快速用の電車が配置されていました。

(クモハ100-78・水道橋付近で車内から撮影・1982年8月)
武蔵小金井電車区は車両配置がなくなり、2007(平成19)年11月25日に豊田車両センター武蔵小金井派出所へ改称されていますが、留置線設備はそのまま残されています。武蔵小金井所属編成は6+4両分割編成だった名残なのか、豊田車両センターでも分割編成はH運用となっているようです。なお201系時代末期には編成の組み替えが実施されて6+4両編成から4+6両編成となり、E233系に受け継がれています。
そして豊田電車区所属車がT。1965(昭和40)年10月1日に武蔵小金井電車区豊田派出所として開設され、1966(昭和41)年11月10日豊田電車区として発足。460両という収容力は当時東洋一だったそうです。

(クハ200-129・神田・2010年10月14日)
101系時代は7+3両編成が配置されていましたが、101系初期冷房改造車の冷房用電源の能力は5両分だったことから、分割すると冷房を使用できなくなる車両が発生するため、事実上10両固定編成となっていました。その後103系新製冷房車や201系も10両貫通編成を中心に配置されていました。その名残なのかE233系10両貫通編成の運用はT運用となっているようです。
中央線と言えば、中央総武緩行線もあります。
中央総武線用の209系500番代、E231系0番代、900番代、東西線直通運転用のE231系800番代が三鷹車両センターに配置されていますが、こちらは3つのアルファベットを使用していて、6扉車組み込みのE231系を使用する運用はBとなっているようです。

(クハE230-42・御茶ノ水~水道橋・2010年2月11日)
このBですが、元々は中野電車区配置車両の運用でした。

(クモハ101・錦糸町・1982年8月)
国鉄時代末期は101系、その後201系に置き換えられましたが、中野電車区は車庫の有効長が短いため10両固定編成の検査ができず、6+4分割編成が配置されていました。
その後1986(昭和61)年3月3日に中野電車区所属車は三鷹電車区に転属して車両配置はなくなっています。
三鷹に転属した201系は、同所生え抜きの201系900番代ともに中央総武線で運用されていましたが、列車番号はBを引き継いでいました。

(クモハ201-901・新小岩)
いつ頃からB運用が6扉車の運用となったのかはわかりませんが、この201系と205系を置き換え用に6扉車入りのE231系が配置されたようですので、そのまま6扉車列車がB運用となったようです。
なお運用変更で209系500番代が入ることもあり、その際はオール4扉車となります。

(クハ209-512・中野・2007年1月18日)
6扉車組み込みのB運用に対してオール4扉車の209系500番代を使用する運用はC運用となっています。

(クハ208-502・市ヶ谷・2008年3月26日)
Cは元々津田沼電車区→習志野電車区配置車の列車番号に使用されていました。

(クハ103・飯田橋・1982年8月)
老朽化した103系を置き換えるために209系500番代が投入されたことからそのままCを引き継いだものと思われます。その後E231系も習志野区に配置されましたが、こちらもCとなっていたようです。そして2003(平成15)年12月に習志野電車区の配置車両が三鷹に転属した際にE231系はB、209系500番代はCに分かれたようですね。
最後に東西線に直通する列車の列車番号の末尾はKとなっているみたいです。

(クハE230-805・中野・2007年1月18日)
Kは多分KOKUTETSU(国鉄)のKだったんだろうなと思います。

(クモハ300・三鷹・1979年1月)
こんなところに国鉄の名残がありました(笑