【国鉄形電車の思い出】Part38「485系との出会いは1500番代でした」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

前回の485系分類からかなり間が経ってしまいましたが、485系の思い出を振り返って見たいと思います。

自分が485系と初めて出会ったのは、1976(昭和51)年8月のことでした。小学2年生の夏に父親の転勤で札幌に引越したのですが、社宅が函館本線白石駅のすぐ近くだったので、毎日のように列車を見に行きました。そこで初めて見たL特急「いしかり」に使用されていたのが485系1500番代でした。
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(「いしかり」・クハ481-1500・白石・1978年12月)
初めて見た485系が、グループ中最もレアな1500番代。なにせ先頭車クハ481形1500番代が8両、モハ484形+モハ485形1500番代のユニットが7ユニット14両の、総勢22両しかありませんでした。
そしてクハ481形1500番代を印象づける屋上2灯前照灯。刷り込みとは面白いもので、自分の中で485系と聞くとこの顔が真っ先に思い浮かびます。
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(「いしかり」・クハ481-1500・札幌運転所・1979年8月)

この485系1500番代ですが、実はかなり可愛そうな車両たちです。現在もそうですが函館本線札幌~旭川間は北海道の中でも重要なビジネスルート。当時は急行「かむい」を中心に711系を使用したノンストップ急行「さちかぜ」が運転されていましたが、特急はこのルートを経て函館もしくは網走に直通する「北海」「おおぞら」「おおとり」「オホーツク」しかありませんでした。
そこで札幌~旭川間に電車特急を走らせることになり、711系をベースとした交流専用車の開発を行なうことになったのですが、思わぬ問題が発覚しました。
これは主変圧器の絶縁油に使用していたPCB(ポリ塩化ビフェニル)の毒性が高いことが判明し、1972(昭和47)年にPCBの製造が禁止となったのです。
そのようなわけで主変圧器を開発するまでに時間を要することになり、北海道向け交流専用特急車が完成するまでの暫定仕様として1974(昭和49)年に製造されたのが485系1500番代です。この当時交直両用車の主変圧器ではシリコン油を使用したTM20形が完成していたことによる製造決定ですが、485系300番代をベースに北海道のパウダースノー対策を講じて開発。落成当初は青森運転所に貸し出して「白鳥」で試験営業を行ない、1975(昭和50)年8月から「いしかり」として2時間ヘッド7往復の運転が開始されました。

で、この北海道向け対策なのですが、良くも悪くもその後の北海道向け車両に影響を与えています。

悪かったところは北海道雪害対策の甘さ、この一言に尽きます。北海道道央以北の雪質は水気が少ないパウダースノーで、本州のべた雪とは全然質がことなります。そのため隙間があれば雪はどんどん入り込んできます。そのため北海道用の711系はモーター冷却風を取り入れたあと、雪を振り落とす通路を備えた雪切り室を一旦通してから、送風機で送り込みます。ところが485系には雪切り室がないため、フィルターをくぐり抜けた雪がモーターに付着してフラッシュオーバーなどの故障を引き起こしてしまいました。
また接触器を使った抵抗制御器にも雪の進入対策を施していましたが、ここにも雪が進入してトラブルを多発させました。ちなみに711系は接触部品がない連続サイリスタ位相制御を採用しています。
その他色々と冬季のトラブルが絶えなかった485系1500番代。冬季はなんと運転本数を半減以下するという間引きダイヤとなりました。冬季の「いしかり」は4時間ヘッドで3往復の運転。しかも故障時に機関車に救援してもらうために、クハ481-1500には密着式自動連結器が備えられていました。Wikipediaには1ユニット減の4両編成で運転と記述されていますが、自分は一度も見たことありません。むしろ1ユニットカットで運転するためにも6両編成である必要があったような気がしますけど。
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(「いしかり」・クハ481-1500・札幌・1978年10月)
地上にあった札幌駅、隣の旧型客車、そして札幌そごうどれをとっても懐かしいです。
ちなみに同じ北海道でも函館になると雪質がまた異なり、485系「はつかり」「白鳥」が普通に走っていました。

もちろん良かったところもありました。
その中でもヒット作は485-1500のアイデンティティだった屋上搭載2灯前照灯。降雪時の運転では、腰部の前照灯を使わずに屋上の前照灯のみを使った方が雪が乱反射しないらしく、運転士には大好評だったそうです。その結果711系も屋上に前照灯を2灯増設。781系やキハ183系などにも踏襲されましたね。

国鉄新性能電車は標準装備と言えた発電ブレーキはモーターを発電機代わりにして、車輪の回転エネルギーを電気エネルギーに変換して減速するものです。で、発電した電気は主抵抗器で熱変換します。電車の場合主抵抗器は床下に搭載されているので、雪と接触して接地事故を起こす可能性があり、711系は発電ブレーキを持っていません。485-1500も冬季は発電ブレーキをカットすることができるようにしていましたが、発電ブレーキは運転士に大好評で、781系では発電ブレーキを採用。主抵抗器は屋上に搭載して接地事故を防止しました
それから踏面清掃装置も隠れたヒットだったようです。制御車クハ481-1500のTR69H台車は、他の485系同様ディスクブレーキを装備しています。485-1500以前の北海道でもキハ80系や711系がディスクブレーキを搭載していたのです、踏面との摩擦部品がないディスクブレーキ車はレール面に付着した氷塊が踏面に張り付いても取り除くことができず、やがて踏面を損傷させていました。そこでクハ481-1500には踏面清掃装置を設置して効果を上げていたようです。北海道ではその後ディスクブレーキ車両を製造していませんが、踏面清掃装置は結構普及したようです。
それから内はめ式の尾灯は雪を巻き上げて付着すると見えなくなるため、外はめ式に変更。781系にも引き継がれました。
運転台窓の4連ワイパーは以後の特急形の標準になっています。
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(クハ481-1500・札幌運転所・1980年8月)

そんな自分にとっては初めての485系だった1500番代ですが、1978(昭和53)年には781系900番代が登場。十分な試験運転の後、1979(昭和54)年から営業運転に入りました。そして千歳・室蘭本線電化直前の1980(昭和55)年春に781系量産車の投入で485系1500番代は「いしかり」から撤退。
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(「いしかり」クハ481-1500・白石~厚別・1980年5月)

余剰となった485系1500番代は1980(昭和55)年6月に青森運転所に転属しました。
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(クハ481-1500・札幌運転所・1980年6月)

まったく同じ時期に自分も親の転勤で新潟県小出町(現・魚沼市)に引っ越して、485系1500番代とはすぐに再会することができました。上越線を走る「いなほ」のうち、上野~青森間の1往復が青森運転所の担当だったのです。
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(「いなほ」・長岡駅・1980年8月)
青森に移った485系1500番代は他の485系と混結されて使用。クハ481形1500番代の密着式自動連結器は密着連結器に戻されました。またモハユニットが装備していた踏面両抱きブレーキのDT32Hは片押し式に交換されたようです。
ともあれ、ここから485系との長い付き合いが始まりました。