481系
製造期間:1964(昭和39)年10月27日~1965(昭和40)年7月23日
485系グループのトップを切って製造されたのは60Hz仕様の481系。「雷鳥」「しらさぎ」用として全車向日町運転所に配属されました。1965(昭和40)年には鹿児島本線直通とセノハチの補機解消を目的として増備されました。
向日町運転所配属車
モハ480-1~26
モハ481-1~26
クハ481-1~18
サロ481-1~18
サシ481-1~9
1964(昭和39)年製造のクハ481-1~8は、クハ151と区別するためにスカートを赤く塗装して登場。翌1965(昭和40)年に増備されたクハ481-9~18は前照灯の上に眉を加え、スカートにもクリーム色のラインが追加されました。

(クハ481-17・大宮総合車両センター・2002年5月25日)
なおこのカラーリングはクハ481-1~8にも施行され、60Hz仕様の顔となりました。当然50Hz区間でも使用でき、クハ481-1~18は最終的に全車東日本エリアに集結しました。
483系
製造期間:1965(昭和40)年6月28日~1967(昭和42)年7月5日
東北本線「ひばり」「やまびこ」用として仙台運転所に新製配置されました。電動車は50hZ仕様のモハ482、モハ483となりましたが、制御車、付随車は481系と共通で続番となっています。
仙台運転所配属車
モハ482-1~15
モハ483-1~15
クハ481-19~28
サロ481-19~25
サシ481-10~14
クハ481は50Hz仕様としてスカートをクリーム1色としていました。

(クハ481-26・鉄道博物館・2007年11月11日)
東北向けのクハ481は雪対策でタイフォンを腰部に移設したようです。
ちなみに483系と共に製造されたサロ481-19~25は、1968(昭和43)年6月15日~9月25日に全車先頭車化され、クロ481-51~57となりました。
485系(クハ481形0番代グループ)
製造期間:1968(昭和43)年7月3日~1971(昭和46)年3月22日
50/60Hz両対応となったモハ484+モハ485の製造が始まり、仙台運転所と向日町運転所に新製配置されました。
仙台運転所配置車
モハ484-1~20、34~43
モハ485-1~20、34~43
クロ481-1~5
クハ481-29~30
サハ481-1~11
サシ481-15~21
仙台の483、485系の受け持ちに「やまばと」「あいづ」が加わりましたが、磐越西線の線路有効長が9両に制限されることと、奥羽本線矢板峠越えのためにMT比率3:2を守る必要があったため、新たにクロ481形が5両登場。また前述の様にサロ481形7両もクロ481形50番代に改造されています。クハ481形は不足2両が補充されました。1970(昭和45)年には「ひばり」を12両編成化するために新形式サハ481形を新製しています。

(クハ481-603・九州鉄道記念館・2009年2月20日)
先頭車は483系グループと同様スカートはクリーム一色。クハ481-603はクロ481-5として仙台運転所に新製配置されましたが、1983(昭和58)年10月31日に鹿児島運転所に転属した後、1988(昭和63)年12月14日にクハ481-603に格下げ改造されました。なおクロ481形0番代、50番代、100番代は全車九州で一生を終えています。
向日町運転所配属車
モハ484-21~33、44~46
モハ485-21~33、44~46
クハ481-31~40
サロ481-26~35
サシ481-22~26
60Hzエリアに投入されましたが、このグループ以降クハ481は周波数に関係なくスカートはクリーム一色となりました。これが交直両用ボンネット形の基本カラーとなっています。

(「ひたち」クハ481-31・日暮里)
1968(昭和43)年7月5日に向日町運転所に新製配置されたクハ481-31は、1975(昭和50)年3月10日に鹿児島運転所に転属。そして1980(昭和55)年9月29日に南福岡電車区に転属した後、1985(昭和60)年3月18日に勝田電車区に転属。西のボンネット車はスカートにタイフォンが装備され、シャッターも設けられていませんでした。
485系クハ481形100番代グループ
製造期間:1971(昭和46)年6月30日~1972(昭和47)年6月10日
厳密に言うとクハ481形100番代以外は0番代と同仕様です。クハ481形100番代は前照灯がシールドビーム化されたほか、MGの容量が210kVAに増強されてボンネットに収まらなくなったため、床下搭載に変更されました。
仙台運転所配属車
モハ484-47~61
モハ485-47~61
クロ481-101~104
クハ481-101~104
サハ481-11~14
サシ481-27~29
仙台車はクロ入り9、12両編成で4編成増備されました。

(「ひばり」・クハ481-101・上野・1982年8月)
クハ481-101は1985(昭和60)年3月14日に勝田電車に転属しましたが、3月22日には向日町運転所に転出。2004(平成16)年2月2日に廃車となりました。
向日町運転所配属車
モハ484-62~67、72~74、82~88
モハ485-62~67、72~74、82~88
クハ481-105~108、111、112、119~124
サロ481-36~39、46~49
サシ481-30、31、33、36、37
北陸、山陽系統の特急の増発用として引き続き向日町運転所にも485系が投入されています。

(特急「北越」・クハ481-108・長岡・1980(昭和55)年8月)
クハ481-108は1986(昭和61)年11月27日に金沢運転所に転属し、1998(平成10)年3月31日に廃車となりました。
青森運転所配属車
モハ484-68~71、75~81、89~96
クハ481-109、110、113~118、125、126
サロ481-40~45、50~51
サシ481-32、34、35、38、39
485系の配置区に青森運転所が加わり、「はつかり」の運用が加わりました。新製配置されたクハ481形100番代が10両は、貫通型クハ481形200番代の投入で1972(昭和47)~1973(昭和48)年に向日町運転所に転属したので青森車のボンネットは短期間しか見られませんでした。

(特急「雷鳥」・クハ481-113・長岡・1980(昭和55)年8月)
向日町に転属したクハ481形100番代の内の1両クハ481-113は1986(昭和61)年11月21日に金沢運転所に転属。1998(平成10)年3月31日に廃車となりました。
485系クハ481形200番代グループ
製造期間:1972(昭和47)年9月9日~1973(昭和48)年9月26日
485系として最初のモデルチェンジを行ないました。先頭車は583系に準じた貫通路を装備してクハ481形200番代となりました。ボンネットがなくなったためCPも床下搭載に変更するとともに容量を2000L/minに縮小しました。貫通扉は空気圧による自動開閉。このクハ481形200番代とモハ484を除く中間車はクーラーをAU13に変更しましたが、クハ481以外は0番代の続番となっています。
モハ484形はAU71形集中クーラーを搭載することで床置きクーラーを廃止し、定員を64→72名に増やしたため、200番代に区分されました。また東北特急用に乗務員室を備えた600番代も登場しています。
青森運転所配属車
モハ484-201~224、230~233、237~239、247、248、262~264、285~308、601、602
モハ485-97~120、126~129、133~136、144~146、160~162、183~206、
クハ481-201~224、227~230、235~238、254~263
サロ481-52~59、64、67、72、73、99、100~103
サシ481-40~45、48、50、54、55、68~72
東北本線の特急電車を福島で分割併合する構造が持ち上がったため貫通扉付きのクハ481形200番代が大量に投入されました。また1972(昭和47)年10月2日から電車化された「白鳥」にも投入されましたが、「白鳥」は直流~交流60Hz~直流~交流50Hzと3電源区間を初めて直通。485系の面目躍如となりました。

(特急「白鳥」・クハ481-200・新潟・1983年8月)
「白鳥」は世界最長距離を走る電車特急となりました。またグリーン車2両を連結した専用13両編成で運転されました。
クハ481-201~220は運転台への昇降用の足場を設置する方式でした。このグループは南福岡電車区と仙台運転所に全車転属しましたが、一部は秋田運転区に暫定配置の後に南福岡へ転属しています。
クハ481-201は秋田、南福岡を経て1985(昭和60)年2月26日に日根野電車区に転属し、念願の貫通路を営業で使用しました。翌1986(昭和61)年9月30日に福知山運転所に転属し、1987(昭和62)年1月22日にクロハ183-213に改造。その後2004(平成16)年1月30日にクハ183-201となり、電気連結器を設置。再び貫通路を使用しました。

(特急「たんば」・クハ183-201・綾部・2009年5月21日)
また203、204、207、208は試験的に電気連結器と自動ホロを備えた自動解結装置が取り付けられていましたが後に撤去されています。
向日町運転所配属車
モハ484-225~229、234~236、240~246、249~261、265~284、311~313
モハ485-121~125、130~132、137~143、147~159、163~182、209~211
クハ481-225、226、231~234、239~253
サロ481-60~63、65、66、68~70、74~83、87~98
サシ481-46、47、49、51~53、56~59、61~67
クハ481形200番代は青森運転所と向日町運転所にだけ新製配置されました。

(特急「雷鳥」・クハ481-200・谷浜・1989年8月)
仙台運転所配属車
サロ481-84~86
サシ481-60
仙台運転所には「ひばり」13両編成化用サロ481が新製配置されたのみでしたが、後に向日町や青森からクハ481形200番代が転入。しかし再び南福岡電車区に転属していきました。サロ481は全車向日町運転所に転属し、84と85はその後金沢運転所に転属の後廃車。86はそのまま京都総合車両所に残り2003(平成15)年12月17日に廃車されました。サシ481-60は最後まで仙台運転所に所属して1987(昭和62)年2月5日に廃車。
金沢運転所配属車
サハ481-16~19
金沢運転所にもサハ481のみが新製配置されました。この4両は1978(昭和53)年に向日町運転所に転属しましたが、1985(昭和60)年に先頭車化改造され、クハ480-5~8となりました。クハ480形は「くろしお」でクハ481形200番代と併結するために貫通扉付きとなりましたが、貫通扉は簡易構造となり、MG、CPも搭載されていません。
クハ480-5~8のうち3両は「北近畿」転用時にMG、CPを取り付けてクハ481に再改造されました。

(特急「雷鳥」・クハ481-801・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
クハ480-5はクハ481-851に、クハ480-6はクハ481-802、クハ480-8はクハ481-801に再改造されましたが、800番代は210kVAのMG、850番代は160kVAのMGを搭載しているのが違いです。
485系クハ481形300番代グループ
製造期間:1974(昭和49)年2月27日~1976(昭和51)年5月22日
クハ481形が運転台面積拡大と非貫通化で300番代になりました。これによって運転台下に余裕ができたためこのスペースにCPを配置。車体側面に冷却風の取り入れ口が設けられました。その他の中間車は200番代グループの続番です。
向日町運転所配属車
モハ484-311~315
モハ485-209~213
クハ481-301、302、304
サロ481-104~107
サハ481-101~113
サシ481-73、74
クハ481形300番代のトップナンバーは向日町運転所に配置されましたが、新製配置された両数はわずか3両でした。しかも3両とも183系化されています。

(クロ183-2701・高槻~山崎・2005年9月17日)
クハ481-301は1996(平成8)年3月9日にクロ183-2701に改造されました。
金沢運転所配属車
モハ484-316~325、329~336、343~345
モハ485-214~224、232~239、246~248
クハ481-303、305~308、310、318~331、343、344
サロ481-108~113、117~121、131、132
サハ481-16~19
サシ481-75、76
このグループから金沢運転所への新製配置が本格化しました。

(特急「加越」・クハ481-306・新疋田~敦賀・2003年5月10日)
北陸本線のクハ481形300番代というと「加越」が真っ先に思い浮かんだものですが、「加越」は683系2000番代の登場時に「しらさぎ」に統合されてしまいました。金沢生え抜きのクハ481-306も2003(平成15)年9月12日廃車となりました。
仙台運転所配属車
モハ484-309、310、603~609
モハ485-207、208、225~228、249、250
クハ481-309、312、314、316、317、338~341、353、354
サロ481-115、124~126、129
サハ481-15
東北特急の編成統一の意味合いから仙台運転所の485系の12両編成のクロ481をサロ481とし、不足するクハ481が補充されました

(特急「ひばり」・クハ481-339・日暮里・1982年11月)
クハ481-339は1984(昭和59)年11月12日南福岡電車区に転属。その後1986(昭和61)年8月30日に福知山運転所に転属し、1991(平成3)年3月15日にクハ183-703に改造されました。
青森運転所配属車
モハ484-610~614
モハ485-251~255
クハ481-311、313、315、332~337、342、345~352
サロ481-130、133
青森運転所へ配属されたクハ481形300番代の多くはクハ481形200番代の置き換えのために新製されました。これはクハ481形200番代が貫通型ですきま風が入ることで不評だったためです。

(快速「フェアーウェイ」・クハ481-347・岡本~宝積寺・2006年12月8日)
クハ481形300番代はJR東日本に現役車がまだ存在。しかも国鉄色も現存しているのは嬉しい限りです。
秋田運転所配属車
サロ481-115、116、122、123、127、128
1975(昭和50)年に新製配置後、1976(昭和51)年に南福岡電車区に転属して、1978(昭和53)年に再び秋田に配属されました。そしてサロ481-1051~1056に改造されていますが、サロ481-1051はサハ481-303に、1052はサロ489-1502、1053はサロ489-1051に再改造されました。
南福岡電車区配属車
モハ484-326~328、337~342
モハ485-229~231、240~245
サハ481-114~118
南福岡電車区への新製配置は中間車のみでした。このうちモハ485-231がクモハ485-102に改造され、モハ485-240~245がクモハ485-103~108に改造されています。

(「リバイバル有明」・クモハ485-102・博多・2009年8月23日)
また、サハ481-114~118は最終的に向日町運転所に集結。114はクハ183-105、115はクハ188-602、117がクハ182-101、そして118がクロ481-2101に改造されました。

(特急「雷鳥」・クロ481-2101・高槻~山崎・2005年9月17日)
パノラマ先頭車に改造されたサハ481-118は一番最後まで輝いていた車両といえますね。
485系1500番代
製造期間:1974(昭和49)年5月23日~6月1日
札幌~函館間の特急電車用として781系が計画されましたが、主変圧器の冷却オイルとして使われていたPCBの毒性が問題となったため、新型主変圧器を開発している間の暫定用として製造されました。なお主変圧器はシリコン油を使用したTM20を新開発。
暫定仕様なので、485系300番代グループをベースに酷寒地対策を施しました。北海道での視界を確保するために屋上前照灯を2灯に増強しましたが、これは後の北海道形の標準となりました。
冬季の接地事故に備えて発電ブレーキをカットオフできる機構を備え、DT32台車は鋳鉄踏面両抱きブレーキ対応のDT32Gを装着。なお冬季の接地事故は想像を絶するものがありましたが、発電ブレーキは現場で好評だったため、781系にも採用されています。
札幌運転所配属車
モハ484-1501~1507
モハ485-1501~1507
クハ481-1501~1508
落成後青森運転所に貸し出されて「白鳥」に限定使用された後に北海道へ渡りましたが、冬季の雪害は予想を遙かに超えていて、冬季は運転本数を半減させるという有様でした。

(特急「いしかり」・クハ481-1500・札幌運転所・1979年8月)
このころは基地内に気軽に入れてもらえましたが、今では想像付きませんね。
485系1000番代
製造期間:1976(昭和51)年2月18日~1979(昭和54)年6月19日
奥羽本線秋田電化に伴い、485系の耐寒耐雪性能を強化して登場。MG故障時に備えてサロ481形1000番代にサブMGを搭載した3MG方式を採用しています。MG制御用の回路を搭載したため、クハ481形1000番代は方向転換不能となりました。また0番代との混結は可能ですが、その際にはMG制御機能は使用不能となります。秋田運転区と青森運転所に新製配置されました。
秋田運転区配属車
モハ484-1001~1024、1042~1053、1069~1088
モハ485-1001~1024、1042~1053、1069~1088
クハ481-1001~1012、1021~1026、1032~1043
サロ481-1001~1008
奥羽本線「つばさ」「やまばと」そして羽越本線「いなほ」用として配置されました。食堂車と一部のグリーン車は0番代の改造で賄っています。

(特急「いなほ」・クハ481-1026・水上・1981年4月)
クハ481-1026は1986(昭和61)年9月3日にクロハ481-1005に改造されました。
青森運転所配属車
モハ484-1025~1041、1054~1068
モハ485-1025~1041、1054~1068
クハ481-1013~1020、1027~1031
青森運転所にはサロ481は配属されませんでした。この485系1000番代の新製を最後に485系の製造は終了しました。

(特急「白鳥」・クハ481-1016・茂辺地・2005年12月17日)
青森の485系1000番代は青函トンネルをくぐって函館まで足を延ばしていました。なお青函トンネル区間の最高速度140km/hは485系最速。青函トンネル通過編成はパンタグラフをPS26Cに交換したほかATC-Lを搭載していました。
485系は各基地に新製配置された後、新幹線の開業や電化開業などで各地への配転、改造、転用が続き、そのバリエーションはどんどん広がっていきました。
この次は、自分が出会った485系たちの思い出話でもしていこうと思います。