【国鉄形電車の思い出】 Part33 103系高運転台車の時代 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

103系は1971(昭和46)年に登場した第1次改良車をベースとして、1973(昭和48)年にはAU75集中クーラーを搭載した新製冷房車へと発展したわけですが、1974(昭和49)年には早くも先頭車を中心に大規模なモデルチェンジを行ないました。
その時に登場した先頭車、クハ103-269~は山手線、京浜東北線のATC化への準備工事をして登場。同時に高運転台となって印象が大きく変わりました。
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(クハ103・鶯谷・1987年4月)
高運転台化に伴って、間延びしないように前面窓の下にステンレスの飾り帯が付きました。またシールビームの前照灯や、行先方向幕、列車番号表示器も若干上に移動しています。

ATC車上機器は103系1000番代と同様に運転室背後に搭載されたため、運転台に隣接する戸袋窓は廃止されました。このATC車(準備車)の登場で、低運転台のクハ103新製冷房車のほとんどは関西に転属してしまいました。
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(クハ103-398・鶯谷・1987年4月)
この103系以降、高運転台顔が山手線と京浜東北線の定番の顔となり、両線の先頭車に関しては単調なものになった感がありました。実は中間車には900番代や910番代試作車がいたのですが、当時は興味対象ではあっても写真までは撮れなかった感じ。それぐらいフィルムは貴重で、今のデジカメ時代なら山のように写真を撮っていたことでしょう。
この頃は既に山手線に205系の投入は進んでいて、103系は1988(昭和63)年に撤退し、埼京線などに転じました。京浜東北線の103系はしばらく残っていましたが、209系によって1998(平成10)年に撤退しています。

京浜東北線に高運転台先頭車を投入した際に、余剰となった103系低運転台車が転配され、新性能化が始まった横浜線でしたが、京浜東北線に乗り入れる関係でATC車が追加投入され、低運転台車と旧型国電を淘汰。横浜線は一気に近代化されました。
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(クハ103-744・長津田~成瀬・1983年)
そんな横浜線でしたが、更新速度が一気に早くなって、1989(平成元)年には205系に置き換えられています。

103系ATC車の投入が一段落すると、関西圏を中心にATC非搭載のクハ103高運転台車の投入が始まりました。関東でもATC準備車が投入されていた中央快速線向けの最終増備車も非ATC車となりました。
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(クハ103-824・新小岩・1982年)
中央快速の103系は早々に201系化が完了し、103系は中央総武緩行線に転属。一時は誤乗防止ステッカーを貼り付けていましたが、最終的にカナリアンイエローとなりました。中央総武緩行線の103系は2001(平成13)年にE231系によって淘汰されました。

川越線電化時に投入された103系3000番代は、72系アコモデーション改善車(モハ72形970番代、クハ79形600番代)を新性能化した車両です。
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(クハ103-3002・西川越~的場・2004年1月4日)
72系台枠に103系高運転台車の車体を載せたもので、外観は103系そっくりになっていますが、モハ103のパンタグラフの搭載位置や半自動扉など細部は異なります。また当初は非冷房だったため集約分散式クーラーAU711Aを搭載。
個人的には72系970番代にちょっと興味があったので、何回か撮影に出向きました。103系高運転台車なのにちょっと古さを感じるのは、もちろん気のせいです。

八高線電化開業時には103系ATC車に半自動開閉ボタンなどを取り付けた103系3500番代も投入されました。
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(クハ103-3502・箱根ヶ崎~東飯能・2003年12月28日)
103系3000番代を待っていて3500番代が来るとがっかりしたのも今は思い出。両線の103系は2005(平成17)年に205系に置き換えられました。

1986(昭和61)年に京葉線、西船橋~千葉みなと間が開業しましたが、京浜東北線の103系6+4分割編成が転用されました。現在と違って日中の乗客が少なかったため、開業当初は6両編成、後に4両編成で日中の運転を行なっていました。
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(クハ103・西船橋・1987年)
京葉線のJRマークは戸袋窓付きの位置に合わせたのか低い位置に貼り付けられていますね。
ステンレス車はラインカラーのワインレッドの帯を纏っていて一方で、普通鋼車は101系の試験塗装が芳しくなかったらしいことと、京浜東北線から転属した103系が多数派だったため、201系までスカイブルーを纏っていました。

京葉線の103系は2005(平成17)年に引退しましたが、クハ103-713はカットボディとなり鉄道博物館で利用されています。
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(クハ103-713・鉄道博物館・2007年11月11日)
カットボディながら、首都圏で今でも見ることができる103系としては貴重な存在かもしれません。

首都圏ならどこに行って見ることができた103系でしたが、気がつけばどんどん減少し、首都圏で最後の活躍の場となったのが常磐線快速でした。
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(クハ103-468・北小金~南柏・2002年10月6日)
103系としては異例の高速運転を行ない、103系最長10M5Tの15両編成で激走する姿はとても迫力がありましたが、個人的には低運転台の印象が強いです。そんな常磐線快速の103系も2006(平成18)年に引退。これで首都圏から103系は姿を消してしまいました。

ところで、103系最後のグループに福岡地下鉄乗り入れ用の1500番代が存在します。1982(昭和57)年から登場したこのグループですが、201系ベースの車体に、105系の前面、そして103系のシステムを組み合わせています。
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(クモハ102-1511・筑前前原・2007年2月17日)
主制御器は103系1000番代や1200番代の様な超多段制御ではなく、0番代のCS20を搭載し、このあたりもコストダウンを優先させた、国鉄末期を象徴するような電車です。
1989(平成元)年に6両編成9本中4本を、3両編成8本に分割する改造を実施しました。この時にクモハ102-1500とクモハ103-1500が登場しています。
2000(平成12)年にはワンマン運転開始。2002(平成14)年にはトイレも設置されていますが、いずれにしても一番馴染みがない103系であるのは変わりありません。

現在103系が一番多く活躍しているのはJR西日本。数は減らしつつも、低運転台車も高運転台車もまだまだ走っています。しかし1996(平成8)年以降、徹底的なリニューアル工事が実施された体質改善40N工事施工車はちょっと個人的には残念な姿な印象があります。
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(クハ103-836・大阪・2010年11月7日)
特に外装の張り上げ屋根と側窓がなんとも残念。まぁ単に原形が好きなだけなので、ただのエゴではあるのですけどね。

2002(平成14)年以降は簡略化した体質改善30Nになり、屋根や側窓は原形のままになりました。
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(クハ103-797・新今宮・2007年2月11日)
多少は原形に近くなりましたが、戸袋窓は埋められ、ベンチレーターは撤去。前面窓も1枚物なのが残念。
とはいうものの、JR西日本の103系こそ本当の最後の牙城となるといえますので、頑張っていってもらいたいものです。