名神高速道路は日本最初の都市間高速道路として1963(昭和38)年7月16日に栗東~尼崎間が開通。翌1964(昭和39)年4月12日に関ヶ原~栗東間が開通しました。関ヶ原インターチェンジ付近は山を避けるように建設されましたが、急カーブだった上に降雪地帯だったこともあって事故が多発。その結果、1978(昭和53)年10月2日に今須トンネルに切り換えられ、旧道は日本初の廃高速道路となりました。
関ヶ原付近の新旧ルートをグーグルの地図で説明しましょう。関ヶ原インターチェンジから米原へ向かうと道路は左にカーブした後、右にカーブしながら今須トンネルに入っていきます。今須トンネルを抜けると左にカーブしていくのが現在のルートです。一方旧ルートは関ヶ原インターチェンジを過ぎると左、右、左とカーブを描きながら新ルートと離れ、さらに右急カーブを経て左にカーブしながら新ルートと合流します。実際にはこの部分のアップダウンも激しく、冬季は路面凍結もしていたのかもしれません。

地図に撮影ポイントの番号を振っておきましたのでそれに合わせて現状をレポートしてみようと思います。なお、関ヶ原インター付近の新旧分岐手前のルート部分は自分の予想です。後で説明しますが、この部分も名神高速道路の敷地になっているのです。
①彦根118付近
高速道路をくぐる道の部分にはこのような番号が振られています。

この彦根118ですが、4車線道路の下をくぐるにしては奥行きが長すぎますよね。これは本線以外にも敷地がある証拠。
現在は工事用の基地があるようです。

②新旧分岐部分
この付近の名神高速道路側道は本線の西側を通っていますが、彦根118から一気に坂を登って本線を見おろすところまで来たところが分岐部分。手前が上り線、向こう側が下り線です。

下り線の向こう側の草に覆われている場所が旧道で、その先にフェンスが見えます。
③今須トンネル入り口上
今須トンネルの上から関ヶ原インターチェンジ方向を見てみます。

右側に旧道が分岐していきますが、分岐の手前にも舗装されている部分が見えます。ここが先ほどの彦根118の上に当たる場所。ただの工事用基地にしては面積がとても広い印象。なので自分は勝手にここも旧道だと想像しています。
④旧道の切り通し付近
側道は今須トンネルと跨いで、旧道側に出てから下り勾配となります。この旧道からNEXCO中日本の用地への道が延びています。

奥に見える部分は旧道だと思います。おそらく舗装も当時のままなのでは?
同じ場所から米原方面を見てみましょう。かなりの下り勾配になっていたようですね。

旧道部分は平地に整地されて建物が建っています。
⑤彦根117
名神の廃道の痕跡で一番印象的なのが、この彦根117。

建物がある関ヶ原側の盛り土はそのままですが、米原側の盛り土は取り除かれているようです。

現在はここをくぐってもなにもありませんが、もしかすると側道がここをくぐっていたのかも?

なお、旧側道は写真の様にそのまま直進して行きますが、そのために盛り土を取り除いたのかもしれません。
⑥今須川手前
先ほどの下り坂を振り返って見ました。

ここでは旧側道と旧道が入れ替わっています、写真左側が旧道。
そしてここに今須川を渡る橋の橋台と思われる構造物が残っています。

でも傍目にはただの壁にしか見えませんね。
この橋台から米原方面を見るとこんな感じ。

更地の部分を高速が通っていて、目の前の山の手前を右にカーブしていきました。
⑦今須川
今須川には橋脚の基礎が残っていました。

奧には先ほどの橋台が見えます。それにしても狭いところを降りてきていたんですね。
米原側にも橋脚の基礎が残っていました。

⑧今須川米原岸
今須川を渡ると右にカーブしながら坂を登っていきます。

左側の緑の部分が旧道ですが、盛り土は平地に整地されてしまったようです。
⑨合流手前
小川を渡る部分にも橋台らしきものがあります。

対岸は整地されて工場が建設されました。

工場の反対側にあったワフが何気に気になったりして(笑

⑩合流付近
右側が旧道、左側が現ルートです。

合流部分の間には旧道へ向かう工事用道路があります。

航空写真ではまだ、2車線の面影も残っているようです。
高速道路の廃道はここと、中央自動車道の談合坂付近の2カ所。談合坂付近は面影もかなりハッキリ残っているのですが、名神の方が印象深い廃道という感じでした。
廃線跡はもちろんのこと、廃墟、廃道っていろいろ想像を巡らせることができるのが楽しいものです。