【鉄道温故知新】Part5 セノハチ越えのシェルパ基地 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

1894(明治27)年に山陽鉄道が山陽線糸崎~広島間を開業させました。その際に八本松~瀬野間は最短距離で線路を敷設したため、上り線は連続上り急勾配区間となりました。そして「西の箱根」とか「セノハチ」と呼ばれた同区間の後補機の基地として、山陽線開業と同時に瀬野に機関区を開設しました。
国鉄山陽本線となってからも瀬野機関区の役割は変わることなく、D52、EF59、EF61 200、そしてEF67の基地として機能していましたが、1985年(昭和60)年3月14日に広島機関区瀬野派出所に格下げとなり、翌1986(昭和61)年11月1日に広島機関区に統合されて役目を終えています。

そんな瀬野機関区のビフォーアフター。
ビフォー
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(EF59 10・瀬野機関区・1984年8月)
機関区の大阪側は機関庫などがあり、検修に使用されていました。EF59 10はEF67登場後も予備車として残った4両のEF59の内の1両でした。

アフター(2010年3月11日)
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機関区の部分は駐車場に変貌し、片隅に瀬野機関区の記念碑が建てられましたが、かつての値基地の境界だったフェンスと側溝は残っています。
中央部分は橋上駅となった瀬野駅の出口が設けられ、利便性は向上しましたね。上り線3、4番ホームは昔と変わらないようですが、下り線1番ホーム、2番(中線)は撤去されて島式の1、2番ホームに改修されました。

当時は民家が少ししか建っていなかった瀬野駅の北側ですが、現在はスカイレールタウンという住宅地ができて、ベッドタウンとなりました。そして住民の足となるスカイレールのみどり口駅が機関区跡地に設置されています。
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留置線や引き上げ線があったスペースもほとんどが駐車場になってしまったようです。
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瀬野機関区は敷地形状に面影を残しながらもなくなってしまい、瀬野には貨物列車すら停車しなくなりました。しかしセノハチの難所は変わることなく、広島貨物ターミナルで連結された補機がノッチを入れて後押しを開始するポイントには変わりないようです。