【廃線跡探訪】その1 長野電鉄屋代線(河東線) | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

185系「そよかぜ」を撮影後、クルマでしなの鉄道屋代駅まで移動しました。
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しなの鉄道は、1997(平成9)年の長野新幹線開業によってJR東日本信越本線から経営分離された第3セクターです。
余談ですが長野新幹線の正式名称は北陸新幹線ですが、長野が終点だったため長野行新幹線と呼称され、後に長野新幹線と呼ばれるようになったという経緯があります。2014年度末には長野~金沢間が開業するため、正式名称の北陸新幹線と呼ばれることになると思われます。

この屋代駅は2012(平成24)年3月31日に廃止された長野電鉄屋代線の起点でもありました。長野電鉄屋代線は、1922(大正11)~1925(大正14)年にかけて屋代~木島間を開業した河東鉄道が前身。1926(昭和元)年に河東鉄道が長野電気鉄道を合併して長野電鉄河東線となりましたが、2002(平成14)年に信州中野~木島間が廃止されたのに伴い屋代~須坂間を屋代線と改称しました。
そんな屋代線屋代駅は、しなの鉄道の2面3線のホームに隣接して1面2線のホームが配置されていました。
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ただし末期に営業に使用されていたのは写真手前の5番線のみで、しなの鉄道側の4番線はフェンスによって立ち入り禁止とされていたようです。

この長野電鉄4番線はしなの鉄道とつながり、さらに長電テクニカルサービス屋代工場とつながっていて、小田急10000形やJR東日本253系の搬入ではこの線路を使用していました。
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かつては国鉄信越本線から直接河東線への直通列車が走っていました。国鉄の直通列車(連絡急行)は河東線を信州中野まで走って、ここから山の内線(現、長野線)湯田中まで運転されていました。最末期は169系「志賀」が直通。
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(急行「志賀」クハ169-27・日暮里・1982年11月)
「志賀」は「妙高」などと併結されて上野を出発し、屋代で分割していましたが、1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正で廃止。その後信越本線と長野電鉄河東線を直接直通する連絡線は撤去されています。
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写真右が長野電鉄屋代線(河東線)の廃線で、この先で右に分岐してしなの鉄道(信越本線)と分岐します。

長電テクニカルサービス屋代工場は、しなの鉄道の車両の検修を請け負っていたので現在も稼働しているのかと思いますが、連休のため閑散としていました。
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なおこの場所はかつて昭和シェル石油の油槽所があった場所で、貨車が出入りしていました。

しなの鉄道と分岐した屋代線は長野新幹線をくぐって東屋代駅に着きます。
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ここは屋代高校と屋代中学校に挟まれた場所で、棒線ながらこじんまりとした駅舎がありました。

雨宮駅は小さな待合所がある駅でしたが、かつては列車交換ができたようで、対向式ホームが変則配置されていた名残があります。
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屋代線にはトンネルが3箇所ありましたが、廃止間もない今ならトンネルの姿もじっくり鑑賞することができます。
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岩野駅はシンプルな棒線駅。
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国道403号線に接しているのですが、意外と目立ちません。

象山口駅は国道403号と交差したところにありました。
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駅前の広場も全くない、典型的な地方私鉄の無人駅です。

屋代線で一番大きな駅は松代駅。かつての松代藩の城下町であり第2次世界大戦中には大本営が建設され、そして現代では新世紀エヴァンゲリオンの舞台にもなった町です(笑
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現在も観光の拠点となっている松代駅は、ホームも2面あってかなり立派です。
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なお、松代ではこの周辺の線路跡を利用したLRT運行の構想もあるようです。

金井山駅はシンプルな棒線です。
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ここから600mのところに山本勘助のお墓があるらしい。

大室駅の近くには古墳があるようです。
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信濃川田駅も列車交換が可能な駅でした。
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そして駅構内には3500系や、小布施電車広場にあった保存車両、そして2000系A編成が留置されています。
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2000系は長野電鉄ご自慢のロマンスカー。A編成は晩年登場時のカラーリングに復元されていました。
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(2001・柳原~村山・2008年4月13日)

若穂駅は駅名標が残っていました。
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綿内駅も交換可能な駅。駅舎には公文式の教室が入っているようです。
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駅前にはなぞのスペースがあったのですが、その正体は代替バスの折り返し場でした。
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須坂インターチェンジ近くに井上駅がありました。
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そして須坂駅に至ります。

須坂駅は長野電鉄長野線との合流駅であり、車庫もある長電の拠点駅です。
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ここには長電最後の次車発注車10系OSⅡが倉庫代わりで使用されています。

さて、河東線須坂~信州中野は現在長野線となっていますが、前述の通り信州中野~木島は2002(平成14)年に廃止されています。通称木島線の区間は昨年訪れているので、ダイジェスト的に紹介します。
信州中野の分岐区間は、信号が不思議な角度に曲げられていました。
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四ヶ郷~赤岩には鉄橋が残っていました。
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バックには北陸新幹線の鉄橋が見えますね。

自然に帰りかかっている柳沢駅のホーム。
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やはり10年の歳月を感じさせますね。

田上~信濃安田にはトンネルが残っています。
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終点の木島駅はバスターミナルというか待合所になっています。
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ホームも一部残っていますが、やはりもの寂しいですね。
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河東鉄道は最終的に十日町までの延伸を目指していたようです。しかし長野市を無視したルート設定、そして飯山線とのルート重複などを考えるとなんとなく中途半端に終わった感がありますね。
唯一のメリットだった国鉄との直通連絡も直通列車や貨物列車の廃止によって無意味となったわけで。
逆に言えばよく最近まで生き残っていたなぁって気もしました。