JR貨物がEF210-301を投入するセノハチの電気機関車達を振り返る。 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

国鉄~JRには山越えの難所として有名な区間がいくつかありますが、セノハチもそのひとつ。
セノハチとは山陽本線の上り瀬野~八本松間にある22.6‰の連続登り勾配区間のことで、「西の箱根」とも呼ばれています。
非電化時代末期はD52が貨物列車や旅客列車の後押しに従事していました。1961(昭和36)年の広島電化開業後もD52が補機として使用されていたのですが、国鉄新性能電車の151系153系が自力で登れないという事態が発生。さすがにD52では無理があったのか、宮原機関区に新製配置されたばかりの新型旅客用電気機関車EF61 0番代を広島で151系特急「つばめ」「はと」に連結。セノハチを押し上げたあと、八本松で走行解放を行ないました。
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(EF61 9・広島機関区・1984年8月)
153系は密着式連結器を装備していたため、EF61 0番代と153系の間にオヤ35を挟んで補機に使用され、走行解放は行なっていません。オヤ35は153系に合わせて湘南色だったらしいです。

セノハチの補機は1964(昭和39)年にようやく電気機関車化されることになり、1963(昭和38)~1968(昭和43)年にかけて戦前形のEF53全19両を改造してEF59が登場。
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(EF59 10・瀬野機関区・1984年8月)
EF59は重連総括制御を備えて、単機または重連での後補機を行ないました。八本松側には自動解放装置も取り付けられましたが、後に10000系貨車対策で密着式自動連結器などが装備され、物々しさを増しています。
このEF59 10は最後まで現役で残ったEF59のうちの1両でした。引退後JR西日本が下関地域鉄道部で保管していましたが、腐食が激しくなったため2006(平成18)年7月に除籍され解体されてしまいました。

1969(昭和44)年、1972(昭和47)年にはEF56を改造したEF59 20~24も登場。種車の違いでまったく車体形状が異なりますね。
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(EF59 21・瀬野機関区・1984年8月)

このEF59を置き換えるため新形電気機関車を改造した補機として、EF61全18両を改造したEF61 100番代とEF60 1次車14両を改造したEF61 200番代が計画され、まずEF60ベースの200番代の改造が1977(昭和52)年に始まりました。
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(EF61 210・瀬野・1984年8月)
同機は重連総括制御を備え、貫通扉が追加されました。また八本松側にはデッキと自動解放装置などが装備されています。
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(EF61 211・八本松・1984年8月)
EF61 100/200番代は、EF59同様に1,000t以下の貨物列車と旅客列車には単機で、1,200t以上の貨物列車には重連で後押しをする計画でした。しかしEF61 200番代が重連で押し上げている時に、貨物を牽引する本務機が非常ブレーキを使用すると脱線する恐れがあることがわかり、改造は200番代8両で中止となりました。この結果、EF67登場まで1,200t級貨物の補機はEF59重連が担当することになりました。
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(EF61 201・瀬野機関区・1984年8月)
8両のEF61 200のうち、201と203の2両は早々に長期休車していましたが、後に復帰。しかし1984(昭和59)年の貨物合理化で201と203を含めた3両が休車となり、203はそのまま廃車されました。201を含めた7両はJR貨物に承継され、EF67 100番代登場まで活躍し、1991(平成3)年までに引退しています。
EF61 201はその後吹田機関区の扇形庫内で保管されていたようですが、扇形庫と共に解体された模様。

失敗作となったEF61 200番代に代わり、EF59重連を単機で置き換えるために登場したのがEF67で、1982(昭和57)年からEF60を改造した1~3と、1990(平成2)年からEF65を改造した101~105の8両が存在します。登場時はもみじ色(赤2号)のカラーリングが話題を呼びましたね。
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(EF67 104・八本松~瀬野・2011年3月10日)
EF67は抵抗制御だった種車の制御装置を電機子チョッパ制御(サイリスタチョッパ制御)に改造し、回生ブレーキを備えました。サイリスタチョッパ化に伴ってMT52モーターは6個永久並列接続になったため、端子電圧が種車の750Vから900Vに引き上げられて、定格出力も425kW×6=2,550kWから475kW×6=2,850kWにパワーアップしました。これによって単機でも1,200t級貨物列車の後押しが可能となりました。

EF67 0番代はEF60の4~5次量産車を種車として誕生し、1982(昭和57)年から使用を開始。
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(EF67 2・瀬野機関区・1984年8月)
0番代登場時は、八本松駅構内での走行解放運用があったため、八本松寄りの台枠を400mm延長して貫通扉とデッキを装備し、空気シリンダー式の自動解放装置を備えていました。なお走行解放は2002(平成14)年で廃止され、現在は自動解放装置は撤去されています。
0番代は更新工事が実施されず、種車のEF60 4~5次車は1964(昭和39)年製造で、老朽化が進んでいるため、今回のEF210-300による置き換え対象となっています。

EF67 100番代はEF65 0番代6次車(131~135)を種車として1990(平成2)年から改造されました。自動解放装置は当初から取り付けられず、デッキや貫通扉も設置されませんでした。
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(EF67 104・八本松~瀬野・2011年3月10日)
100番代は2003(平成15)年から更新工事を受けて、テールランプが角形になったほか、運転台窓回りが黒くなりました。この時にシングルアームパンタグラフに交換されたのですが、不具合があったらしく、その後下枠交差形のPS22に戻されているそうです。種車が1970(昭和45)年頃の製造なので、今回は置き換えられないものと思われます。

さて、今回EF67 0番代を置き換える新形補機ですが、以前からEF210が投入されると言われていました。
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(EF210-137・下関・2009年3月14日)
EF210はJR貨物が1996(平成8)年から製造している直流電気機関車で、現在のJR貨物の主力機。VVVFインバータ制御で1時間定格出力3,390kW(565kW×6)、関ヶ原越え時には30分定格出力3,540kW(590kW×6)を発揮します。
0番代ではGTO素子を採用し、ひとつのインバータでふたつのモーターを制御する1C2M方式でしたが、100番代からはIGBT素子に変更され、また制御も1C1M方式に変わりました。109以降はシングルアームパンタグラフのFPS-4に変更されました。

セノハチにはこの100番代をベースとして、連結器部分に新型のシリコン緩衝器を内蔵した新区分番代のEF210-301として9月3日に落成する予定。
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(JR貨物プレスリリースより)
車体はブルー基調でイエローのラインを配しています。まるでブルトレ牽引機みたいな装いですね。なおEF210-301は貨物列車の牽引も可能なので、運用の柔軟性が高まることが予想されます。

ところで、歴代のセノハチ補機ですが、現存しているものが何両かあります。JR貨物広島車両所内にEF61 4のカットボディが現在も保存されていて、151系の補機時代に使用した自動解放装置を見ることが可能。
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(EF61 4・広島車両所・2009年10月25日)

同じく広島車両所内にはEF59 16のカットボディとEF59 21が保管されています。
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(EF59 21・広島車両所・2004年10月24日)
広島車両所は毎年秋に一般公開されていますので、一度見てみるといいと思います。

なおEF59は引退後に関東にも運び込まれました。そのうちEF59 1は高崎第2機関区で保管された後、EF53 2に復元されたEF59 11とともに群馬県の碓氷峠鉄道文化むらで保存されています。
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(EF59 1・碓氷峠鉄道文化むら・2006年10月28日)
現在いつでもEF59を見ることができるのはここだけですが、かつてセノハチの補機が、東の難所、碓氷峠の補機の基地だった横川で余生を過ごしているというのも不思議な縁を感じますね。