【国鉄形電車の思い出】Part22 113系(その1)意外にもあまり縁がなかった近郊形電車 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

新性能電車第2世代の近郊形、急行形は平坦線区向けと山岳線区向けの2系統の展開が計画され、直流近郊形電車の平坦線区向けとして1963(昭和38)年に登場したのが113系です。
113系は第2世代の要である120kW出力のMT54モーターを搭載していますが、主制御器はMT54に合わせて仕様変更したCS12を搭載し、抑速ブレーキは備えていません。内容的には111系の出力増強版であって、制御車、付随車は完全に互換性がありますので113系の制御車はクハ111が続番造備され、後に登場する付随車もサハ111として登場しています。
そんな113系の関東での活躍エリアは東海道、横須賀、総武、房総系統で、意外と乗車するチャンスに恵まれず、初めて113系に乗車したのは1979(昭和54)年夏に、大磯ロングビーチに行った時のことでした。
113系には横浜から乗車したのですが、東海道線の上りホームには横須賀線直通の113系1000番代が停車していましたが、これが初めて撮影した113系です。
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(クハ111-1000・横浜・1979年8月)
113系1000番代は品川~東京~錦糸町の横須賀、総武地下線用に、運輸省制定の難燃化基準であるA-A基準に合わせて製造されたグループです。写真のグループは地下線用開業直前に保安機器として採用が決まったATCを搭載した第3グループ。外観上の特徴は助手席後ろの窓が廃止されてATC機器が搭載されていること。そしてタイフォンが尾灯よりも低い位置に設置されているということです。
なお東海道本線と横須賀線は1980(昭和55)年10月1日からのSM分離へ向けて横須賀線の工事が進められている時期で、この時はまだ東京~大船を供用していました。ちなみにSM分離とは横須賀線の列車番号の末尾Sと東海道線のMの路線を分離するという意味です。
ちなみに、この時はクモユニ74を先頭にした113系に乗車したのですが、印象はまったく残っていません。

この横須賀線と直通運転することになる総武線は、1972(昭和47)年に東京地下線と錦糸町~津田沼の快速線が開業して113系1000番代ATC車が投入されていました。
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(クハ111-1000・錦糸町・1979年8月)
1976(昭和51)年には横須賀線品川~東京が先行開業して、総武快速の乗り入れが始まっていましたが、津田沼~千葉の快速線が完成するのはSM分離1年後の1981(昭和56)年7月6日だったそうです。つまり、この快速は津田沼から先では101系と同じ線路を走っていたわけですね。

初めて撮影した113系が横須賀色だったことでもわかるように、あまり馴染みがなかった113系。1982(昭和57)年以降もブルートレイン撮影の合間に撮影する程度でした。
東海道本線の湘南色クハ111といえばこの顔が定番でしたね。これは1974(昭和49)年以降に製造された0番代新製冷房車で、シールドビーム、ユニット窓など、113系の決定版的存在でした。なお1000番代とは異なりタイフォンの位置は前照灯の隣になっています。
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(クハ111-300・東京・1982年8月)
写真は空気圧縮機(CP)を搭載した300番代で大阪方向に連結されていました。
数は少ないながら、白熱灯の大目玉車もたまに姿を見せていました。
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(クハ111・東京・1982年8月)
このクハ111は1968(昭和43)年以降製造のグループで、関ヶ原の雪対策で押し込み式ベンチレーターを採用しています。このグループの後、1969(昭和44)年からしばらくは1000番代が増備され、0番代は1974(昭和)49年製造の新製冷房車まで製造が中断しました。

この頃、撮影現場で出会った人から「大船工場に行くと面白いのがたくさん見られるよ」と言われ、実際に行ってみるとクモハ12やクモハユ74などと共に、入場している113系を見かけました。
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(クハ111・大船工場・1982年8月)
特別快速という表示が珍しかったですね。でもこの時はクハ111の後ろに見えるクモハ73が気になっちゃいましたが。どうやらこのクモハ73は大船工場内の入れ換えに使っていた様です。

1983(昭和58)年、何回か飯田線の撮影に出向いた際に113系のお世話になりました。
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(クハ111-300・小田原・1983年2月)
このクハ111は1964(昭和39)年以降製造のグループで、運転台上のベンチレーターがグローブ式からに大型押し込み式に変更されています。
このころから113系に乗る機会が増えてきましたが、その割りには写真は増えていません(汗

相変わらずブルートレイン撮影の合間に撮る程度の113系でしたが、こんな臨時快速もやって来ました。
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(クハ111-300・大船~藤沢・1983年8月)
伊豆海水浴の臨時列車ですが、サロ110を挟んだ7両編成という、実に模型向けな編成ですね。

1978(昭和53)年からはボックスシートのシートピッチを1420mmから1490mmに拡大し、座席幅を880mmから965mmに拡大したアコモデーション改善車、2000番代が登場し、やがて東海道線東京口の主力となりました。
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(クハ111-2000・大船・1983年8月)
外観上は車端部の窓がひとつ少なくなっているのが大きな違い。CP付クハ111は今までの様に+300ではなく、2000番代となり、CPなしが+100の2100番代となっているのがややこしいところです。
このグループがJR東日本で最後まで残っていた113系グループになります。

113系は湘南色と横須賀色以外に地域色として阪和色と関西線快速色がありました。このカラーリングは雑誌や模型を見ていてもかっこいいと思っていたのですが、なかなか見る機会には恵まれませんでした。しかし1985(昭和60)年の修学旅行の際に、関西線快速を見るチャンスが訪れました。うちの高校の修学旅行は日中自由行動だったのです!
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(クハ111-300・竜華操車場・1985年6月)
新快速色、阪和色の色違いで春日大社にちなんだ朱色3号のラインを巻き、春日塗りと言われました。これが大和路快速のご先祖様ですね。

この後また113系とは疎遠な日々が続きましたが、約14年ぶりにブルートレインを撮影しに行った際、またしても合間に113系を撮影。
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(クハ111-2060・早川~根府川・1997年)
2階建てグリーン車サロ124と183系改造車サロ110—350が組成された超凸凹編成です。特急形のサロ181、サロ481、サロ489、サロ183を改造したサロ110は300番代、350番台、1350番代などがありましたが1998(平成10)年に消滅しました。

その後もなぜか113系を積極的に撮影しないまま、1999(平成11)年には横須賀・総武快速線の113系がE217系に置き換えられて引退してしまい、113系1000番代ATC車も房総各線線用となっていました。
房総各線では路線別に方向幕を色分けしていて、内房線は青地です。
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(クハ111-1344・木更津・2004年2月29日)
グリーン車連結の11両+4両ではなく、6両編成や4両編成になってしまい、都落ち感はありました。
さらに延命工事、前面強化、リニューアル工事などを実施してHゴムの黒色化、扉窓の金属押さえ化などが実施されて雰囲気が少し変わっています。

減少傾向だった113系ですが、危機感が全然なかったのは相変わらずで、2004(平成16)年頃も、幕張の183系や高崎のEF65Pの撮影の合間に113系を撮影していました。でもデジタル時代だったのでケチることはなくなりましたが(笑
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(クハ111-179・佐倉~酒々井・2004年8月22日)
成田線の方向幕の地色は緑。
幕張所属の113系初期非冷房車は、AU712を2基搭載して冷房化と屋根上にSIVを搭載。また前面強化でシールドビーム化やアンチクライマーの設置が実施されて印象がかなり変わりました。

この時初めて113系1500番代も撮影しました。総武線なので地色が黄色です。
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(クハ111-1605・佐倉~酒々井・2004年8月22日)
113系1500番代はアコモデーション改善車の地下線仕様として1979(昭和54)年から製造されました。2000番代と異なってクハ111-1500が奇数向きで、CP付が+100の1600番代になっています。なぜ逆転現象が起きたのでしょう?

外房線でも撮影しました。こちらは赤地の方向幕。
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(クハ111-1129・土気~大網・2004年8月22日)
JR東日本の113系の撤退は2004(平成16)年から本格化して、113系の撮影をするようになったのですが、時既に遅し感がありました。
(続く)