そして1974(昭和49)~1976(昭和51)年まで六日町、1980(昭和55)~1982(昭和57)年まで小出に住んでいたので、各タイプの181系に乗車した記憶はあります。
特に小6~中2までの小出時代は撮影する機会も乗車する機会も多かったですね。というのも小出に停車する「とき」で一番利用しやすい時間帯を走っていたのが「とき10号」と「とき21号」で、この列車は181系の運用だったからです。

(上野・1980年8月)
ボンネット形先頭車として全国に先駆けてイラスト入りマークを導入したのも181系でした。ちなみにこの頃の上野~小出の所要時間は約3時間。今なら新潟から「いなほ」に乗り換えて中条ぐらいまで行けちゃいますね。
この時代は既に旧151系、旧161系のほとんどは廃車されていましたが、事故で廃車となったモハ181-202の代わりに旧151系のモハ181-29が抜擢されて活躍。旧161系もモハ180+181-41~43のユニットが存続していました。181系40番代には写真のクハ181-45も含まれていましたが、この車両はクハ161—5として発注後、1965(昭和40)年にクハ181-45として落成したので、厳密には161系改ではなく、181系新製最初期車になります。

(小出~越後堀之内・1980年8月)
181系としての新製車は100番代を名乗っていましたが、このグループが181系の主力として残存していました。中でも信越本線碓氷峠でEF63と連結するために製造されたクハ180の内、4と5が新潟に転属してきたのは嬉しい限り。実は自動連結器がむき出しの姿って無骨で好きだったのです。

(小出・1980年8月)
181系は冬季の故障が多発したことと、183系1000番代と編成を揃えるために、1978(昭和53)年にグリーン車サロ181形1100番代を6両新製しています。とはいっても4年後には上越新幹線が開業するわけで、新幹線開業後は485系サロ481形1500番代に転用することを前提に、屋根高さは181系よりも125mm高い凸凹編成を形成しました。

(小出・1980年8月)
さらに不足するサロはサロ481初期車から改造したサロ181形1050番代と長野にいたサロ180形100番代を改造したサロ180形1000番代を用意。これらが181系最後の牙城を守り抜きました。
引退カウントダウンの印象は拭えなかった181系。183系1000番代と比べるとよく揺れましたが、リクライニングしない回転クロスシートに関してはそんなに苦痛だった印象はなかったです。
181系のお膝元に住んでいたわけですが、181系が通過するのはお昼前後と宵の口ということで、学生の身分ではなかなか撮影できるわけではありませんでした。
それでも休日などを利用して岩原のΩカーブや松川の鉄橋に行ったりしました。

(越後中里~岩原スキー場前・1980年11月)
それでも雪中の走りを見ることもできたから幸せだったと言えますね。

(八色~小出・1981年3月)
1982(昭和57)年夏に神奈川に引っ越したのですが、当然ながら上越新幹線開業直前フィーバーということで、毎週末は日暮里に通っていました。

(日暮里・1982年10月)
廃止直前になると間引き運転や編成の減車などが実施されたので、本当に寂しい思いをしましたね。

(上野・1982年11月)
1982(昭和57)年11月14日を最後に181系の定期運用は消滅したのですが、その翌週末に181系のさよなら列車が運転されました。この時181系は地平ホームにやって来ましたが、一体何年ぶりのことなのでしょう?

(上野・1982年11月)
このとき185系200番代の「白根」と並ぶというシーンが展開されています。自分の上野詣ではここで一段落した感じでした。
特急形電車のパイオニアだった181系ですが、元クハ151-1のクハ181-1が製造元の川崎重工に保存されたのが保存第1号です。

(川崎重工・2009年10月11日)
現在は0系と並んで保存されていますが、スカートが原形ではないのと連結器カバーはないのが残念です。この車両は映画オールディーズのロケにも使用されましたね。
そして181系のラストを飾ったクハ181-45は新津工場で保管された後に上沼垂運転所に移設されて保存されていました。

(上沼垂運転所・2005年10月14日)
運転台の屋上には前照灯が復活し、「とき、朱鷺、TOKI」の文字マークで保存されていたのですが、上信越、中央線用181系は中央線の狭小トンネル対策で屋上の前照灯を1961(昭和41)年以降
撤去しているため、ちょっと馴染みのないスタイルな印象を受けました。
クハ181-45は2007(平成19)年に開館した鉄道博物館に移設されて、国鉄新性能電車黄金時代を今に伝えてくれています。

(鉄道博物館・2007年11月30日)
この時点で存在していた181系2両の内、旧151系が川崎重工に保存された1両だけでしたので、「こだま」の復元には至りませんでしたが、JR東日本なら上野駅を再現できるクハ181-45の方が適切かもしれませんね。
自分も時々鉄博に足を運んで小中学生時代の思い出に浸っています。