【国鉄形電車の思い出】 Part11 101系はまだ生きてます | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

101系の老朽廃車は始まったのは1979(昭和54)年からでした。当時の鉄道ジャーナルのニュース欄で、南武線で運用していた101系900番代が廃車になるという記事を見た記憶があります。
101系900番代は1957(昭和32)年に登場した101系の試作車で、全電動車10両編成が製造されています。
量産化改造された際に、大型押し込み形ベンチレーターをグローブ形ベンチレーターに交換し、埋め込まれていた雨樋を外出しとしているのですが、先頭車の一部は前面にも外付けの縦雨樋があって、ちょっと不格好に見えました。
そんな101系900番代でしたが、現役時代の姿を見た記憶はまったくないです。

101系900番代が全廃されてからしばらく経ち、多分1982(昭和57)年頃だったと思うのですが、中央線快速に乗車していたら、武蔵小金井電車区の片隅にクモハ101-902というナンバーをつけた電車がいるのを見つけました。
廃車されてから3年経っていますし、まさかと思ったのですが武蔵小金井電車に戻って、職員の方に頼み込んで写真を撮らせてもらいました。
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(武蔵小金井電車区・1982(昭和57)年)
この頃は都内の電車区でも運が良ければ入れてもらえたりした、良い時代でした。
クモハ101-902は南武線時代のカナリアンイエローのままで、所属表記の西ナハのまま、オレンジバーミリオンの中間車と連結されていました。ちなみに902は前面に外付けの雨樋がないタイプだということをこの時初めて知りました。それから乗務員室扉の手すりが埋め込み式ではないのも試作車時代の特徴です。

この写真を撮影した何年か後、クモハ101-902はオレンジバーミリオンに塗装され、大井工場で保存されていましたが、外から撮影しようとすると守衛所が邪魔でうまく撮影できない位置にありました。その後見学ツアーに参加した時、12年ぶりに再会しました。
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(東京総合車両センター・2004年6月2日)
国鉄新性能電車の保存車って実はかなり少ないのですが、101系900番代はやはり新性能電車のパイオニアであるということが保存の決め手だったのでしょう。

その後クモハ101-902は鉄道博物館に搬入されたので、この場所にはJR東日本VVVFインバータ電車のパイオニアであるクハ209-901が保存されています。
なおJR東日本東京総合車両センターでは209系以降を新性能車、205系以前の電車を旧性能車と区別していますが、これは検査方法が異なるからのようです

2007(平成19)年に開館した鉄道博物館には新性能電車も何形式か保存されましたが、その中にクモハ101-902も加わりました。
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(鉄道博物館・2007年11月11日)
クモハ40とは対角の位置に展示されましたが、どちらも中央線に縁がある電車なのは興味深いものですね。

さて、101系の区分番代は試作車の900番代の他に低屋根の800番代がありました。こちらはなんどか乗車したこともあるのですが、写真を撮ってはいなかったようです。それから回生ブレーキ試作車の910番代が2両存在しました。製造当初はクモハ100-911+クモハ101-911の2両編成でしたが、試験終了後はクハ100-911とクハ101-911となって中央快速の付属編成に組み込まれていましたが、残念ながら見た記憶はありません。

そして101系1000番代も存在しました。こちらは1973(昭和48)年に開業した武蔵野西線(府中本町~新松戸)向けに、101系初期車を改造したもので、最終的に6両編成が19本存在しました。

なぜ1000番代が必要かというと、武蔵野線には長大トンネルがあったのでA基準に適合する難燃化改造が必要だったためです。
この武蔵野線用101系1000番代ですが、従兄弟が所沢に住んでいたので何気に乗る機会が多かった気がします。
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(新秋津・1982年8月)
この頃の武蔵野線は30分に1本ぐらいしか走ってこなかったのですが、その路線が今ではもの凄い通勤路線になってしまいましたね。

保存車が少ない101系ですが、一部は教習用として利用されていて何度か見る機会がありました。
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(中央鉄道学園・1984年)
中央鉄道学園は国分寺と西国分寺の間にあったのですが、学園祭などで一般公開されることがありました。現在はマンションと公園になっていますね。

それから東大宮操車場の脇には関東鉄道学園の施設があってここにも101系がありました。
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(関東鉄道学園・1984年9月25日)
現在はこの跨線橋は立ち入り禁止になっています。
写真のクハ100-12は101系を6M4T化する際に製造された制御車です。初期の車両はクモハ100に改造するための電装準備車として製造されたため、クハ100の屋根上にはパンタグラフ台が準備され、台車もDT21から主電動機を除いたDT21Tでした。この電装準備車はクハ100、クハ101、サハ100、サハ101がありましたが、いずれも最後まで電装されませんでした。なお後期車は電装準備なしで登場し、サハ100の製造は打ち切りとなっています。

1987(昭和62)年にJR東日本が発足しましたが、中央総武線にはまだ101系が残っていました。
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(西船橋・1988年11月)
しかし1988(昭和63)年に101系は中央総武線から引退しました。しかし平成時代直前まで都心部を非冷房の通勤電車が走っていたというのも、今考えると驚きですね。
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(西船橋・1988年11月)

自分が最後に乗車した101系は南武支線です。クモハ100+クモハ101の2両編成でクモハ11+クハ16を置き換えた101系ですが、1989(平成元)年にAU712を2台搭載して冷房化されました。
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(浜川崎・2002年7月9日)
ちょうどクモハ11に乗車した時と同じアングルですが、あまり風景は変わっていませんね。でも背後に見える高架の貨物線は廃止されてオブジェと化していますが。

新性能電車の基礎を築いた101系ですが、本来の10両全電動車編成では変電所容量が不足したため加速性能を制限されてしまいました。さらに72系の置き換えを優先させたために、製造コストの安い付随車が挿入され、減速性能もダウン。結局経済的で性能に優れた103系への橋渡し的存在になってしまいました。
そういった意味では101系は性能的には失敗作だという不幸な電車なのですが、JRでの最後は全電動車編成だというのも皮肉なものですね。
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(浜川崎・2002年7月9日)
もちろん起動加速度3.2km/h/sも減速度3.5km/h/sも発揮することはありませんでした(笑

この101系も2005(平成17)年に引退。鎌倉総合車両センターでの一般公開で姿を見たのが最後でした。
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(鎌倉総合車両センター・2005年9月10日)

しかし101系はまだ生きていたりします。そうです、秩父鉄道に譲渡された1000系ですね。
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(武川~永田・2008年3月23日)
1986(昭和61)~1989(平成元)年にクモハ100+モハ101+クハ101の3両編成12本が譲渡されました。1994(平成6)年からは先頭車に冷房装置を取り付けたり、パンタグラフが2基になるなどの変化がありましたが、最近は国鉄色や旧秩父鉄道色にリバイバルするなど話題も振りまいていました。
で、よくよく考えて見ると101系って実に秩父鉄道で26年も使用されていたことになるのですね。そう考えると101系って意外と長生きしたという感じですね。