
(川崎・1981年8月)
先頭車クハ153は低運転台の0番代と高運転台の500番代がありましたが、高運転台形は新湘南顔として昭和50年代後半まで受け継がれることになります。
東海道新幹線の開業後、151系は山岳線区に移ったのでパワーアップ改造されて181系になりましたが、153系の方はそのまま東海道・山陽本線系統の急行やローカル列車で活躍していました。
そんな153系ですが、初めて見たのはブルートレインブームだった1979(昭和54)年頃。東京駅を出入りしていた急行「伊豆」や「東海」の車両で、ポケットカメラで撮影した写真が何枚か残っています。
また1979(昭和54)年にブルートレイン「瀬戸」の車窓から網干に留置されている新快速色の153系を見たことはありますが、残念ながらこちらの写真を撮ることはできませんでした。
その後も東京に来る度に153系「伊豆」を見かけましたが、なぜか高運転台のクハ153形500番代を見る機会が多かった気がします。

(品川・1980年8月)
そんな153系に初めて乗車したのは1981(昭和56)年8月。あまりに有名な321Mに乗車して身延線の旧型国電を撮影しに行った時が最初です。321Mの153系は大垣電車区に所属し、これまた有名な大垣夜行の折り返し列車で、静岡からは急行「東海」となって東京を目指しました。
富士で旧国を撮影後は急行「東海1号」で静岡に行ったのですが、この時は全然写真を撮っていなかったのは悔やまれます。そして153系に乗車したのはこれが最後になってしまいました。
153系は新快速からの撤退を皮切りに急速に減少していきました。そして1981(昭和56)年には田町電車区の153系が185系に置き換えられて消滅しています。

(品川・1981年8月)
車両も懐かしいですが、品川駅も様変わりしてしまいましたね。
185系に置き換えられた153系は疎開留置されていましたが、実はこの時に低運転台のクハ153形0番代を初めて撮影しました。
1982(昭和57)年11月15日のダイヤ改正は、上野口の特急のほとんどが廃止された改正ですが、実は153系の運用が完全に終了した改正でもあります。
まずは幕張電車区所属の房総線急行用153系が廃止。


(両国・1982年8月)
房総線の急行列車自体が、この改正で特急化されました。
そして大垣電車区の153系が165系と117系に置き換えられて消滅。

(東京~神田・1982年8月)
大垣夜行や急行「東海」は165系となり、中京圏の快速は117系に置き換えられましたが、それにしても非冷房の153系が最後まで急行に使用されていたというのは驚きでした。
さらに下関運転所の153系も115系3000番代に置き換えられています。
153系って気がついたらあっという間に消滅したという印象で、しかも保存車両も存在しません。
ところが153系の忘れ形見が鉄道博物館にあります。それがDT24A形台車です。

(鉄道博物館・2009年5月13日)
台車枠にはちゃんとDT24A台車という銘板があります。DT24を装着したのは153系と157系だけですが、製造年がS36となっているので153系用とみて間違いないでしょう。

(鉄道博物館・2009年5月13日)
DT24にはMT46モーターも装備されていますが、CS12主制御器やSED電磁直通空気ブレーキも備えられ、実際の動作体験をすることができます。多分鉄道学園の教材だったのだと思います。



(鉄道博物館・2009年5月13日)
ブレーキ弁の製造が昭和59年になっていたので、すべてが153系のものかは分かりませんが、すくなくとも最後まで現役で活躍するMT46モーターということになりますね。
保存車はありませんが153系のサウンドは今も聞くことができるというのは喜ぶべき事なのかもしれません。