ポケットカメラを卒業した頃(その3)「1980年頃札幌近郊で撮影した国鉄形気動車」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

 今でこそ札幌圏内は札沼線や函館山線からの直通列車と優等列車を除くとほぼ電車で埋め尽くされていますが、1980年前後は気動車の比率がかなり高かったのです。千歳線は電化開業前でしたので普通列車は100%気動車でしたが、函館本線系統も非電化区間への直通列車が多く、岩見沢~追分行、歌志内行などの列車が数多く運転されていました。また急行列車も数多く運転されていました。
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)
 これは函館~札幌間を走った「すずらん」。函館~札幌間では山線経由の「ニセコ」と室蘭本線経由の「すずらん」が運転されていました。「ニセコ」は気動車急行1往復と、SLでも有名だった客車急行1往復が運転されていましたが、気動車「ニセコ」の上りは根室~函館という超ロングラン運転をしていました。この他に室蘭~札幌の「ちとせ」、札幌~様似の「えりも」、札幌~倶知安・岩内の「らいでん」、札幌~伊達紋別~倶知安~札幌の「いぶり」などが運転されていました。

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 これは急行「天北」。この頃は札幌~天北線経由~稚内で運転されていました。宗谷本線系統としては函館~稚内の「宗谷」がメジャーでしたね。

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 札幌運転所を出区する「大雪・はぼろ・紋別」。3階建て急行で、「大雪」は札幌~網走、「はぼろ」は羽幌線経由で札幌~幌延、「紋別」は宗谷本線、名寄本線経由で札幌~名寄~興部~遠軽と走っていました。この他に「狩勝」もよく見かけた急行列車でした。

 キハ20系ではキハ22が北海道の代名詞ですが、千歳線ではキハ21が主力でした。
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 内地仕様のキハ20そっくりのでっきなし2扉セミクロスシートですが、保温性の問題もあってデッキ付2扉のキハ22に移行しましたので、北海道では少数派でした。

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 この頃の最新鋭車がキハ40。220ps出力のDMF15HSエンジンを搭載した新世代車ですけど、車重も増加してしまったので性能的にはキハ10系並と揶揄されました。首都圏色が当時としては新鮮でしたね。この頃はこんな感じで函館本線を普通に気動車が闊歩していました。