さて、久しぶりに本州在住となったわけですが、引越した翌年の1981年夏に母方の実家である愛媛県土居町に家族で帰省する事になりました。この時のプランは、小出を出てまずは相模原へ。つづいて愛媛に行き、そこで宇都宮の従兄弟家族と合流し、一緒に小出まで戻ってくるというものでしたが、ここでついに単独行動の許可が出ました。まあ中1なんですからそれぐらいあってもいいとは思うのですけど。残念ながら「その日のうちに高松で親と合流できる事」という条件がついていましたが、あの頃はホテルに泊まるという発想はありませんでしたので、あまり問題ではなかったです。
そして旅行初日。親と共に小出駅に向かいました。乗る列車は11時2分発の「とき10号」。当意3往復残っていた181系使用列車で、唯一小出に停車する上り列車でした。ちなみに下りは上野16時49分発の「とき23号」だったかな? 時間帯がちょうどいいので利用機会が多かったです。なお181系についてはまたの機会でお話しようかと思います。
乗車前に長岡行き普通電車を見送ります。この電車は上越北線では珍しい新前橋電車区所属の115系7両編成が使用されていて、長岡運転所の1000番代冷房準備車ばかりの中で、冷房車の300番代が使用される事が多かった印象です。上野側には郵政省所有の郵便車クモユ141形が連結されていました。1M方式の国鉄新性能形電車としても有名な存在でしたね。

そして「とき10号」に乗って3時間かけて上野へ。今なら上越新幹線で浦佐まで1時間30分位で行けてしまいますが、当時の在来線は旅情があって飽きませんでした。「とき」の場合、魚野川沿いの風景、岩原のオメガカーブから松川ループ、毛渡沢橋梁、清水トンネル、湯檜曽ループ、水上機関区のEF16、岩本~津久田、そして特急街道高崎線という具合に様々な景色が広がっていましたね。
そして上野に到着。ちなみに上越特急は上野駅高架ホームの8~9番ホーム発着が基本になっていました。「あさま」は7番線が多かったような気がします。

余談ですが、この頃使っていたカメラはアサヒペンタックスSVとスーパータクマー55mm F1.8(外部露出計付)。父親のお古でしたが、一眼レフの基礎をこのカメラで学びました。カメラに関するお話もそのうちしたいなと思います。
この日は山手線で新宿に出て小田急に乗り換えて小田急相模原へ。念願の一人旅(限定付)は数日後に始まります。(続く)