さあ、念願の一人旅(限定付)の始まりです。高松駅での集合時間が夕方と決まっている中での移動となりますが、それでも一人での移動距離はかなりのものとなるわけでワクワクします。ただ当時フィルムの本数に限りがあったため、泣く泣く撮りこぼした車両もあったりしたのが残念ではあります。ともあれ、小田急相模原から一番電車に乗って小田原へ向けて出発しました。これが初電初体験でした。
初めての111系
小田原駅の国鉄ホームに行くと、111・113系の普通電車が待機していました。120kW出力のMT54主電動機を搭載した標準的直流近郊形電車113系は宇野線の快速で乗車しているはずなのですが、100kW出力のMT46主電動機を装備した111系を見たのはこれが初めてでした。この頃の111系は113系と混結して使用されることが多かったような気がします。東海道線の15両編成に非冷房車が堂々と入っていた時代のお話です。

初めての185系乗車
1981年から急行「伊豆」用153系の置換え用として登場した汎用特急車185系の間合い運用の上り普通電車が走って来たので、ついつい乗ってしまいました。185系が登場した当時の在来線特急形電車の普通車シートは簡易リクライニングシートが定番だったので、西の新快速用117系と同じ転換クロスシート装備はいかがなものかなと思いましたが、普通電車としては極めて快適でしたね。

初めての153系
185系普電に国府津まで乗車して、ここから下り静岡行に乗車。この列車は急行「東海」用153系の間合い運用列車でした。直流急行形電車は165系しか経験が無かったのでこれが153系初乗車。しかし撮影するチャンスがなかったのか写真がありませんでした(汗)。この電車で富士駅まで移動です。
初めての戦前形電車
富士駅に行った理由は身延線の戦前形電車を撮影するためでした。Nゲージをやっていたので戦前形についての基礎知識はありましたが、身延線のクモハユニ44が見たくて富士に向かったというわけです。富士駅からは西へてくてく歩いて行って、旧富士電車区へ。ちょうど4両編成が入線してきましたが、中間に組み込まれていたのはクモハ51850でした。

クモハ51850はクモハ43を3扉化したクモハ51200のパンタグラフ取付部分を低屋根化して身延線への入線を可能とした車両です。クモハ43は戦前の京阪神急行電車に使用されていた2扉セミクロスシートクモハ42系の片運転台車で、今の新快速の御先祖様に当たります。
最後尾はクハ68093でした。ドア間の窓が5枚ということから、この車両がクハ55のセミクロスシート改造車だと言うことが分かります。クハ55は通勤形電車クモハ40系の制御車で、3扉ロングシート車でした。そして大阪鉄道管理局式球形通風口が運転台窓についていますね。

許可を貰って富士電車区の留置車両達をウォッチングしました。クモハ51 800番代が2両並んでいますが、通風口や前面窓の形状など細部が異なりますね。なおこの2両は本来のクモハ51を低屋根化したものです。

初めてのクモハユニ
郵便荷物普通車合造の制御電動車を意味するクモハユニは全国でも5両のみの存在。そのうちの4両が身延線のクモハユニ44 800番代です。クモハ42系グループに属するクモハユニ44ですが、配置されたのは横須賀線でした。後にクモハ43などが転入してきて感動の出会いを果たしましたが、新性能化で身延線に転属。クモハユニ44800~802は全低屋改造されて特異な外観となりました。

クモハユニ44803のみパンタグラフを後部に移設した上で、その部分を低屋根化したため外観が異なります。グローブベンチレーターは3個しかないのも特徴でした。

初めての地域色
この頃登場した旧型国電置換え用の新性能電車には標準色ではなく地域オリジナルの塗色を採用した例が見られました。身延線向けの115系2000番代とクモユニ143はワインレッドに白帯というカラーリングを採用していました。身延線の115系2000番代も既に消滅してしまいましたが、クモユニ143は長野で職員輸送用として現役ですね。


初めてのアコモ改造車
アコモデーション改造車とは、国電モハ72系の台枠と電機機器、台車を流用して新性能電車並みの車体に乗せ変えたもので、仙石線用に通勤形のモハ72系970番代が、そして身延線用には近郊形のモハ62系が投入されました。身延線柚木駅で電車を待っていたらモハ62系がやってきたので、入山瀬まで乗車しました。

外観は115系300番代とほぼ同形ですが、非冷房で連結器も旧タイプとされていました。72系970番代はのちに電機機器を更新して103系3000番代となりましたが、モハ62系は構造上の問題で腐食が激しかったらしく、1984年頃には廃車になっているようです。
初めての戦前形乗車
入山瀬から富士まではクハ47が先頭の上り電車が到着。ホームに待機する人を見れば分かる通り、郵便荷物合造車のクモハユニ44が最後尾に連結されていましたので、迷わずクモハユニ44に乗車。吊りかけサウンドを堪能しました。


初めてのホーバークラフト
富士からは、急行「東海」に乗車して静岡へ行き、ここから「こだま」に乗車して名古屋で「ひかり」に乗り換えて岡山へ。岡山から宇野までは115系の快速に乗車しました。本来は宇高連絡船のお世話になるのですが、今回はホーバークラフトを使用した急行便を利用。連絡船が1時間かかるところをわずか18分で走破するのは凄かったのですが、瀬戸内海の潮の流れを越えるだけでもジャンプするなど、運用の難しさを感じました。なによりも国鉄との接続が悪過ぎてメリットがあまりなかった印象です。
ともあれ、初めて尽くしの一人旅は高松上陸で最終章を迎えます(続く)。