「はやぶさ」「さくら」「みずほ」復活前夜(その1)学生時代の想い出 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

 東北新幹線「はやぶさ」と九州新幹線「みずほ」「さくら」の運転開始も刻一刻と近づいて来ました。かつては九州ブルトレの代表格としてブルートレインブームの火付け役の一端を担った3列車ですが、思わぬ形で最前線に返り咲くことになりましたね。ここでは「さくら」「はやぶさ」「みずほ」について超個人的な思いを書いてみようかなと思います。

 その前にまずはブルトレブームまでの3列車をかるーくおさらいしておきましょう。

 「さくら」の前身は1957年7月に「あさかぜ」の補完列車として東京~博多間に設定された「さちかぜ」です。同年10月、「さちかぜ」は長崎まで延長され、これが「さくら」の原形となりました。ちなみに当時「さくら」の名称は新型特急電車に採用することが検討されていたようで、151系のイメージスケッチなどでは「さくら」表記を見ることができます。そう言った意味では新幹線に「さくら」の名称を用いたのは理にかなっているかも知れませんね。

 1958年10月、20系ブルートレイン「あさかぜ」の登場と同時期に、東京~鹿児島間に「はやぶさ」が設定されました。また「さちかぜ」は「平和」に改称されましたが、さらに翌1959年7月の20系化の際に「さくら」となりました。
 続いて1960年7月には「はやぶさ」も20系となり、運転区間は東京~西鹿児島間となりました。同年12月には東京~熊本間に臨時「あさかぜ」を運転。この列車が翌1961年10月から不定期列車の「みずほ」に発展しました。「みずほ」は1963年6月1日に定期化されると同時に20系化。運転区間を東京~熊本・大分間となりました。これは晩年の「はやぶさ」「富士」の運転区間と同一で、そう言った意味では「みずほ」の運転区間は理想的だったのかもしれませんね。なお1964年10月1日に大分「みずほ」は独立して「富士」に発展しました。

 1965年10月、「さくら」の運転区間が東京~長崎・佐世保間となりました。「はやぶさ」は1968年10月1日から付属編成を長崎行きとして、東京~西鹿児島・長崎という運行形態に改められました。これが後の「みずほ」長崎編成の原形となります。

 1972年3月15日、「さくら」「みずほ」「博多あさかぜ(1往復)」にニューブルートレインこと14系が投入されました。1975年3月10日には「はやぶさ」「富士」に24系が投入されましたが、その際に「長崎はやぶさ」を廃止して、新たに「長崎みずほ」が誕生し、運転区間は東京~熊本・長崎となりました。また1976年には2段式B寝台の24系25形100番代が投入され「はやぶさ」「富士」「出雲」に投入されました。そしていよいよブルートレインブームを迎えることになります。

 ブルートレインブームの火付け役は「富士」だったと思いますが、各地のブルトレのヘッドマークが廃止されている中、ヘッドマークを掲出し続けた東京発のブルトレがその象徴的存在だったことは疑う余地もありませんね。そして牽引機のEF65 500番代、通称P形の存在も非常に大きなものでした。1978年には牽引機が後継のEF65 1000番代PFに置換えられましたが、その人気はまだまだ不動だったようです。
 僕が初めて「さくら」「はやぶさ」に出会ったのも、そんな1979年の夏ごろのことでした。東京駅のブルトレ発着ホームは12・13番線。現在の東北新幹線23・24番線にそのホームはありました。ホームにはカメラを持った子供たちが溢れるため、白線の他に青い線を引いて青線外は立ち入り禁止にしていたのを記憶しています。

「さくら」「はやぶさ」は下りの発車が16台なので、みんな下り列車を狙いに行っていたような気がします。こうして12番線で撮影した下り1列車「さくら」ですが、当時いろいろな雑誌に出ていたのもこのアングルでしたね。
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)
それにしてもいろいろ下手くそな写真だなぁ(汗

「はやぶさ」は13番線からの発車だったみたい。この他にも14系や「みずほ」の写真を撮っている筈なのですが、見つかりませんでした。
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)

 1982年に入り、中学2年生だった僕は神奈川県相模原市に引っ越してきました。最初は上野口フィーバーに沸いたわけですが、東北・上越新幹線の開業でターゲットが九州ブルトレに移行、江ノ島線に乗って藤沢へ向かい、旧湘南貨物駅付近のカーブによく通いました。

ここではなぜか「みずほ」が下り電車と被ってばかりで、いつも14系の後追いしか撮れなかった気がします。
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)

「はやぶさ」はこんな感じで貨物とすれ違うことが多かったような。
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)

本当ならばこの「さくら」の様に撮れるはずなんですけどね。
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)$ぬまっちのヲタクな日常(仮)
この後撮影のターゲットがEF58や旧型国電に以降するようになり、実はブルトレはあまり撮らなくなっていたりします。

 高校に入学した1984年、ようやく一人旅が許されて九州へと向かいました。なぜ九州に行ったかというと、親の実家が愛媛だったので足を伸ばしやすかったことと、1984年から九州ブルトレのヘッドマークが復活していたからです。この時は博多駅で初めて赤い電気機関車が牽引するブルトレを撮影しました。

まずはED75 300番代牽引の「さくら」
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)
ED76王国で貫通扉付ED75は異端な存在でしたが、今思えば遭遇できて良かったと思います。

そしてED76 1000番代牽引の「はやぶさ」
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)
ED76 1000番代はAREBブレーキを備えた20系ブルトレと10000系高速貨車牽引用の装備を備えて100km/h運転を可能としていました。なお14系以降は特別な装備が不要となったため、0番代も1000番代も共用可能となっています。1011号機はJR貨物に継承されました。

ED76 0番代牽引の「みずほ」
$ぬまっちのヲタクな日常(仮)
このED76 61はJR九州に継承されて廃車されるまでブルトレを牽引しました。そして僕が撮影した数少ない「みずほ」牽引機の写真だったりします。そして最後の「みずほ」の写真らしい(汗

この九州旅行、北九州ワイド周遊券と岡山~松山の乗車券を組み合わせての超強行軍で、実はかなりgdgdな旅だったのですが、このお話は次のテーマにして、次回は「はやぶさ」「さくら」の末期のお話をしようと思います。