僕が札幌に住んでいた1970年代後半、国鉄函館本線は小樽~札幌が交流電化され、国鉄初の営業用交流専用電車711系が活躍していました。実は僕が初めて撮った国鉄近郊形電車の写真がこれだったりします。

写真を見ると711系の車体は車体の両端に片開きの引き戸を備えていて、急行形電車のような出で立ちをしていますが、形式の通り近郊型電車で、客室に入るとデッキ寄りはロングシートになっていてつり革もついています。北海道には急行形電車が存在しなかったため、この711系が急行「かむい」にも使用されていましたが、子供心には違和感は感じませんでしたね。それに711系は徹底的な酷寒地対策が施され、まさに北海道専用という印象があって何だか恰好良く見えました。写真の1~2次車は廃車されましたが、3次車の多くは現役。でも冷房改造された編成や、3扉化された編成がほとんどになってしまいましたが。
そして僕が始めて見た485系がこの485系1500番代でした。711系が好評だったこともあって、北海道でも特急電車の設定が強く望まれたそうですが、主変圧器の冷却に用いるPCBが使用禁止になったために交流専用特急電車の開発が遅れてしまい、暫定仕様として1974年に開発されて、翌1975年から「いしかり」7往復に投入されました。
写真は1978年の絵入りマーク登場以後のものですが、字幕式の写真もどこかに残っている筈(汗)。それにしても札幌そごうが懐かしいです。

外観上の特徴は屋上のヘッドライトが2灯に増強されていること。本来の485系は1灯ですが、この2灯は独特な力強さを感じて好きでした。485系1500番代は暫定仕様らしく、冬期のパウダースノーによるフラッシュオーバーなどのトラブルが多発し、冬期はなんと半減されて4時間毎に運転されるという事態に追い込まれましたが、この屋上2灯ライトは雪の乱反射が起きにくかったため好評で、711系も増設
された他、その後の北海道形の基本アイテムになりました。それから485系の発電ブレーキも好評で、後継車の781系にも装備されることになりました。
1978年に満を持して登場した交流専用特急形電車が781系です。711系の1M方式を踏襲しながら発電ブレーキと発電ブレーキ用抵抗器を屋根上に搭載。交流機器をT車に分散配置したため、M-TAユニットという特異な構成になってパンタグラフがクハ780とサハ780に搭載されるなど、登場当時いろいろびっくりした記憶があります。

前面に回された赤帯も斬新でかっこよかったです。量産先行試作車900番代の冬期試運転は「いしかり」の間引かれたスジを使用していたので、試運転を何度も見ることができました。営業運転開始後は485系1500番代と交互に走っていましたが、485系1500番代と781系って扉の位置が全然違ったんですよねぇ。そんな2形式が普通に混在していたのって今考えると不思議だなぁ。
さて、北海道の路線の大部分は非電化区間な訳ですが、札幌を通る長距離列車はもちろんのこと、千歳線、札沼線の列車、道南、道央の非電化路線への直通列車は気動車で運転されていました。ですので、札幌でも気動車比率が物凄く高かったのです。特に特急列車はキハ80系天国でした。

当時は「おおそら」(函館~旭川・釧路)「北斗」(函館~札幌)が3往復、「おおとり」(函館~網走)、「北海」(函館~旭川・山線経由)、「オホーツク」(札幌~網走)が各1往復設定され、基本編成はグリーン車、食堂車込みの7両編成、これにオール普通車の3両とグリーン車1両込みの3両を組み合わせて6両(「おおぞら」旭川付属編成)、7両、10両、13両編成を組んでいました。そのスタイルといいまさに北海道のクィーン的存在に思っていました。ただ当時の特急は函館ベースなので札幌で見ることができる時間帯が微妙だったのです。一番多く見たのは「おおぞら5号」と「おおとり」。「オホーツク」朝7時発車で早朝すぎ。「北海」は9時過ぎ通過なので平日は見れない感じ。そして「北斗6号」は札幌17時発車でしたので冬は真っ暗でした。
で、北海道の代表格だったキハ80系ですけど、実は過酷な環境でトラブルも多かった様で、1979年に後継車としてキハ183系が登場しました。これがまたかっこよかったんですよねぇ。スラントノーズの高運転台、4灯ヘッドライトとかまるで電車みたいな出で立ちで実はキハ80系よりも好きだったりして(笑

キハ183系の試運転は3両編成に分けて各地で行なわれましたが、札幌地区の時は駅で試運転時間を教えてもらって、札幌駅に友達と出向き、運転台に入れてもらったりしました。当時の職員さんは大らかでしたねぇ
もうひとつ北海道を代表したのは急行形のキハ56系ですね。急行はもちろん普通列車にも幅広く使用されていたのでとても馴染がありました。本州用のキハ58系とは兄弟形式に当たるのですが、保温のために窓のサイズが小さくなっていたり、床が板張りだったりするなど細部に違いが見られるようです。

写真は函館~稚内の急行「宗谷」。この他「ニセコ」「すずらん」「狩勝」「大雪」「なよろ」「紋別」などなど各地の急行で札幌へ顔を出していました。なかには3列車併結の3階建てとかもありました。
近距離急行「ちとせ」「えりも」ももちろんキハ56系。写真のキハ27 200番代は冷房準備車で、パノラミックウィンドウとスカートが特徴的。でも北海道の冷房準備車は原形状態では1両も冷房改造されなかったような。

キハ80系やキハ56系に負けず劣らずというよりもむしろキハ22こそ北海道のエースかも知れません。写真は倶知安駅で撮影した「いぶり」。札幌~小樽~倶知安~伊達紋別~東室蘭~苫小牧~札幌という循環急行でした。

キハ22は小形二重窓、デッキ付扉構造、暖房強化といった北海道形スタイルを確立した車両で、その影響は電車の711系にもみることができます。また当時急行形車両が少なかったため、キハ22が急行に積極的に使われていました。キハ56系登場後も1両で運転する急行を中心にキハ22が普通に使われていました。
キハ22が登場する前の気動車は二重窓にして本州仕様の暖房を少し強めたような車両ばかりで、デッキもなく保温性に難があったようです。キハ21の外観は本州用キハ20とほぼ同じで、千歳線、室蘭線や道南を中心に使用されていました。

室蘭には初期に配置されたキハ17も生き残っていてたまに千歳線の普通列車で札幌までやって来ていましたが、一度だけ急行「ちとせ」に連結されていたのを見たことがあります。あの写真もどこかに残っている筈だなぁ。

急行連結といえばキハユニ25連結の「ちとせ」も毎日走っていました。あのころは郵便荷物列車もたくさん走っていたのでこのような列車も多かった記憶があります。

北海道用のパイオニアとしてはキハ12が上げられますね。この前のキハ11 100番代も北海道向けといわれていたようですが、二重窓を採用したのはこのキハ12が最初らしいです。

キハ12は晩年池田機関区に配置されていましたが、僕は運良く広尾線大正駅で見ることができました。キハ22と比べると車体が小さいのがキハ10系の特徴ですが、これは非力なエンジンで走行するために車体をできるだけ軽くしようとした結果のようです。
札幌に住んでいながらも実は一番馴染があったのは気動車だったんだなぁ。721系や731系が走り回る現在では考えられない感じですね。