そんなスーパーカーですが、そんなに街を走っているわけはなく(今考えると当たり前なんですけどね)、そして1976年頃のテレビ番組で東京~西鹿児島を24時間以上かけて走る「富士」が話題になって、ブルートレインブームが始まりました。こうしてカメラを持った小僧たちはブルトレを撮影するようになり、さらに特急やNゲージとか一気に鉄道ブームになった気がします。
ちなみにこれは推測ですけど、この時のカメラ小僧が今のカメコの元祖だったのではと思います。だってサーキットとかにいるカメコってどう見ても僕と同年代にしか見えないし(爆
残念ながら、この当時北海道にはブルトレはいなかったのですが、僕ももともと電車は好きでしたので自然に撮り鉄にハマるようになりました。とは言っても小学生のお小遣いでは、遠出もできないし、フィルム枚数に限りがありますので、写真はそれほど多くなく、しかも失敗写真は多いわ、クォリティは低いわという感じではありますけど、そんな駄作を見ながら、原点回帰しようかななんて考えてみました(前振り長っ)。で、今回は機関車を見てみようと思います。
北海道の代名詞といえばDD51
北海道は酷寒地であることから特殊な装備にも目が行きますが、そんな北海道の鉄道車両の代表格がDD51だといえますね。1,100ps出力のDML61Zインタークーラーディーゼルターボエンジンを2基搭載し、トルクコンバーターで駆動する液体式ディーゼル機関車で、蒸気発生装置(SG)を備えた凸型ボディ、B-2-B配置の本線用ディーゼル機関車は日本全国で活躍しましたが、北海道ではごく初期に0番代が所属していた他は、500番代のうちA寒地形と呼ばれるグループが所属していました。

この写真は函館本線の山線区間の普通列車です。オハ35系を中心とした3両編成で、まるでNゲージみたいですね。DD51は釧網本線や天北線など一部を除いた非電化区間の客車列車を牽引していたような気がします。撮影したの多分1977年頃。親の運転で積丹半島ドライブに行った時のことだと思いますが、ちょっと曖昧ですね。何駅だったかも全然覚えていないです(汗
貨物列車に関しては電化区間においてもDD51比率が高かったです。夕方に小樽へ向かって札幌を通過する石炭列車や、千歳線経由のコキ10000系高速貨物が印象的でした。

と書きながら小運転の貨物列車の写真しかなかった(汗)。でもワフとヨに挟まれたタキ2両ってNゲージ向きでは(笑)。撮影したのは1978年の冬ごろで、僕のホームグラウンドだった白石~厚別・新札幌の複々線区間です。この貨物列車は札幌貨物ターミナルを発車して貨物線を東札幌へ向かって行ったのかと思われます。
僕が北海道に住んでいた頃、昼行客車急行の定期列車は「ニセコ」だけとなっていましたが、不定期列車としては室蘭本線経由の「すずらん」に使用されていました。これは1979年の夏ごろに白石駅で撮りました。

なお、14系が北海道に入線後、キハ56系を置換えて体質改善を図るため、14系の昼行急行「宗谷」「天北」が登場しDD51の昼行急行の歴史に新たな1ページを加えていました。
夜行急行もDD51の活躍の場でした。夜行急行ってなんとなく恰好良い印象があって、一生懸命早起きして、当時の地元だった白石駅に足を運んだものです。この時DD51が牽引して来た夜行急行は3列車ありました。
「すずらん」(函館~札幌・室蘭本線経由)1978年に撮影(新札幌~白石)

「利尻」(札幌~稚内)1979年に撮影(白石駅)

「狩勝」(札幌~釧路)おなじく1979年に白石駅で撮影。

石勝線開業後は運転経路が変って「まりも」になりましたが、これらの急行牽引がDD51にとって花だったのかも知れないですね。
さて、夜行急行はもう1本ありました。それは札幌~網走の「大雪」なのですが、この列車はED76 500番代が牽引していました。余談ですが、ED76の牽引列車はダイヤ改正によって変更されることがあり「利尻」だった時もあります。

ED76 500番代は、1968年の函館本線電化に伴って登場した交流50Hz専用機。低圧タップ切換制御+サイリスタ位相制御による無接点化の推進、重連総括制御と貫通路を装備するなど、九州向けの60Hz機であるED76 0番代とは、外観もシステムも全く異なるのですが、SGを搭載していたことと労組対策で新形式とできないためにED76を名乗っているらしいです。これも1979年に白石駅で撮影しました。
当時のED76の運用はDD51と比べると少ないながらも貨物列車の運用もありましたが、中心は函館本線電化区間の客車普通列車の牽引でした。1978年に白石~厚別で撮影。スハニ32みたいなのが連結されていました。

721系や731系が走り回るこの区間ですが、朝夕のラッシュはもちろんのこと日中もこのような列車が普通に走っていたのですよ。
冬期になるとDD15のラッセル車も活躍していました。たぶん1978年の冬だと思いますが札幌でもまとまって積もっていた時期があったのですね。

今では消滅寸前となっている除雪用ディーゼル機関車ですが、この頃は本線の主力。しかも夏期は入換えにもしっかり使用されるなど本来の使われ方をしていました。ちなみにこの白石駅千歳線ホームには、現在通過線が追加されています。
こんなボロボロの写真ですけど、現在との雰囲気の違いを感じ取ることはできますね。次回は気動車と電車編をやろうかと思います。