蜷川新右衛門・・・
一休が懇意にしていた武士。
『一休ばなし』の有名な登場人物。
前回、ちょっとだけアニメの『一休さん』に触れましたので・・・
そちらに関連する記事です。
一休さんで、男っぷりの良いお武家さんキャラがいたと思いますが・・・
それが、「新右衛門さん」こと蜷川新右衛門です。
もみあげがワイルドで、男っぷりが良いのですが・・・
ケツ顎なところが、玉に瑕です・・・もっとも、放映当時はケツ顎自体は卑下されるものでもなかったですが・・・
アニメでは将軍さま(足利義満)の側近ですが・・・
小僧さんである一休さんとも仲が良く、頓智においては一休さんの弟子みたいな存在だったと思います。
こどもの頃に見たアニメなので、よく覚えてないのですが、調べてみますと・・・
もともとは、天皇の御落胤である一休さんを監視していたようですが、いつの間にやら仲良くなったようです。
なお、寺社奉行という設定のようで・・・だから、お寺(安国寺)に入りびたりだったんですね。
桔梗屋の弥生さんあたりに好かれていたような気もしますが・・・
弥生さんに、いじわるされていたような気も・・・
弥生さん、ツンデレ?!
なお、最終回では一休さんが修行のために黙って旅立つのですが、みんなにバレバレで・・・
最後に出てきて分かれるのが新右衛門さん・・・
これを見てると、仲良しとか、頓智の子弟とか・・・そういうレベルではないですよね・・・。
この新右衛門さんですが・・・
実は、実在の人物がモデルになっているそうで・・・
それが、蜷川新右衛門親当(ちかまさ)という人物です。
蜷川氏は初代にあたる宮道親直が、源平合戦の時代に越中国蜷川(現在の富山市蜷川)を所領としたことが始まりらしいです。
越中で創始された蜷川家は、室町時代に入ると丹波へ本拠を移し、五代にわたって当主が新右衛門を名乗り、室町幕府のもとで政所代という要職を勤めていったようです。
親当も、6代将軍の足利義教(義満の子)の政所公役を務めたそうで、義教の死後に出家、智蘊と号したそうです。
和歌を学び、連歌師として活躍したようで、一休との関係も連歌によるものだったようです。
小僧さんの一休さんと知り合ったわけではないようです。
<オマケ>
寛政の頃(18世紀末)から毎年発行された『狂歌問答』という作品があるそうです。
一休和尚と蜷川新右衛門の狂歌による問答という形式の小冊子で・・・
様々な人生の課題を面白可笑しく、滑稽味を加えて解りやすい戯作狂歌に仕立てものらしいです。
「釈迦という いたずら者が 世にいでて 多くの人を まよわせるかな」というような臨済禅の警句が散りばめられ、庶民も禅の境地の一端をふれることができるようなものだったようです。
それと同時に、一休が禅者として優れていたことが庶民に浸透していったそうです。