【そ】摠見寺(そうけんじ) ;近江旅路⑥ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

摠見寺・・・

滋賀県近江八幡市安土町下豊浦にある臨済宗妙心寺派の寺。

山号はは遠景山(安土山とも)。

本尊は十一面観世音菩薩。

天正年間(1573~92)に、織田信長を開基として安土城の南に建立。

創建時、尭照法印が住していたというが、正式な住持とは認めておらず、信長死後に住職となった正仲剛可(信長の三男あるいは従弟)を開山としている。

織田家の菩提寺として栄えたが、安政元年(1854年)の本堂などを消失、その後、安土城大手門近くの徳川家康邸跡に仮本堂が建てられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

4月18日(土)~21日(月)、滋賀県に旅行に行ってきました。

初日の午後に観光を開始。

まずは安土へ行き、安土城跡を回ってきました。

 

 

 

標題は「安土城」ではありませんが、安土城跡 観光の続きです。

 

 

 

安土城跡の・・・

大手門近くの安土山の南山麓エリアと天主跡周辺エリアのことは、前々回・前回の記事にしましたが・・・

残りの摠見寺本堂跡エリアのことをご紹介して、安土城跡については〆たいと思います。

 

 

 

 

黒金門跡から南の方へ降りますと・・・

 

伝 織田信忠邸跡あたりに三差路が現れますが・・・

それを南西に向かうと摠見寺本堂跡へ、南東へ向かいますと大手門方面にたどり着きます。

 

 

南西を向かって下山していきますと、途中で石段の上がり坂が現れて・・・

 

登って行くと、塔の先端が見え・・・

 

平坦な土地が現れます。

なお、三重塔はこの平坦地のちょっと下段にあります。

 

 

この平坦地に摠見寺の本堂がありました。

摠見寺は安土城に合わせて城内に創建されたお寺です。

安土城炎上の際にも、類焼をまぬがれ、江戸時代末期まで信長の菩提を守る役割をになって ここに存立していたようです。

安政元年(1854年)、火災のため本堂を含む大半の伽藍を焼失してしまったそうです。

類焼まぬがれた裏門は東近江市にある超光寺へ移築され、同寺の表門となっているそうです。

また、二王門と三重塔は、旧境内に残っています。

 

 

本堂跡あたりから琵琶湖がよく見えました。

 

 

また、本堂跡から類焼をまぬがれた三重塔の屋根がよく見え・・・

塔の屋根をこの近さで上から覗けるのって、めったにない経験ですよね。

 

なお、本堂跡より少し下がると、三重塔の全貌が分かります。

 

 

三重塔からさらに下に降っていきますと、同じく類焼をまぬがれた二王門が現れてきます。

 

さらに下がって、門を見上げたところです。

なかなか、立派な門ですね。

 

この後は、このまま山を下り・・・

山麓の中部あたりを回って、伝 羽柴秀吉邸跡にたどり着き、そこから安土城跡の有料エリアを出ました。

 

 

 

ちなみに、伝 羽柴邸跡の近くにある伝 徳川家康邸跡・・・

 

昭和7年(1932年)に、摠見寺の仮本堂が伝 徳川邸跡に建てられ、現在はお寺の役割はこちらがになっているようです。