【て】手塚治虫(てづかおさむ) ;ひょうご北摂の旅⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

手塚治虫・・・

1928年11月3日、大阪府豊中市に3人兄弟の長男として生まれ、5歳の時に兵庫県川辺郡小浜村(1954年に宝塚市となる)へ引っ越した。その後、上京するまでそのまま宝塚で過ごした。
開放的な家庭に育ち、漫画とアニメーションに親しみ、機智に富んだ想像力豊かな少年であった。
また昆虫をこよなく愛し、ファーブルを思わせる少年でもあった。自身のペンネームに「虫」という字を当てたことでも、その興味の程がわかる。
戦争体験から生命の尊さを深く知り、医学の道を志して後年医学博士になるが結局彼自身が一番望んだ職業を選んだ。
すなわち漫画家、アニメーション作家である。手塚治虫が創作した漫画とアニメーションが、第2次世界大戦後の日本の漫画・アニメ界、また青少年の精神形成の過程で果たした役割は計り知れない。

(手塚治虫 公式サイトより)

 

 

 

10月26日~28日に、「ひょうご北摂エリア」と呼ばれる地域を旅してきました。
旧 摂津国の北部で、現在の兵庫県に属するエリアのようです。

旅の二日目は、そのエリアのうちの宝塚市を回ってきました。

 

 

阪急宝塚駅から花のみちを経て、宝塚大劇場を横目に見ながら向かった先は・・・

 

 

コチラ・・・

宝塚市立 手塚治虫 記念館・・・火の鳥がお出迎えです。

手塚先生は5歳から約20年ほど、現在の宝塚市で過ごされていたそうです。

 

 

 

記念館の1階は常設展となっており、手塚治虫の足跡などが展示されています。

 

先生のベレー帽やメガネ・・・

 

こちらは、少年時代に描いた作品だったと思います・・・

 

医学生時代のノート・・・

 

こちらは絶筆により未完となった三作品『ルードウィヒ・B』『グリンゴ』『ネオ・ファウスト』の原稿・・・

ちなみに、三作品とも若い頃に読んだ覚えがありますが・・・

話が途中で終わってしまってますので、モヤモヤした覚えがあります。

 

 

 

2階では企画展が行われており、この時は島本和彦先生の原画展が開催されてました。

島本先生は、最近ではドラマにもなった『アオイホノオ』が有名で、本名が手塚秀彦という名前らしく・・・

手塚治虫先生に遠慮して、ペンネームを使用していたようです。

 

 

 

館内には、ところどころに手塚先生の作品のキャラのオブジェ等がありました。

 

 

個人的には、常設展のボリュームをもう少し厚めにしても良いのではないかなぁ・・・と思いました。

 

もっとも、それはあくまでも、手塚先生の事績をもっと見たいという観光客の目線であり・・・

関西在住のリピーターさんのことを考えますと、常設展示が厚くなり過ぎるのは、足を運ばなくなる原因になりますから・・・

良い塩梅で運営していただけたらと・・・。