【み】神人腹太文(みわびとふくたのあや) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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神人腹太文・・・

古代の播磨国に実在したと思われる人物。

『播磨国風土記』に掲載されている。

「神人」は、『姓氏録』の摂津国神別に神人氏がみえ、「大国主命の五世の孫、大田田根子命の後なり」とある氏族。

「腹太文」について、実際の読み方はよく分からない。

「みわびとふくたのあや」との読み方は、講談社学術文庫『播磨国風土記 全訳注』(秋本吉徳、鉄野昌弘 補)より。

 

 

 

 

 

 

今、『播磨国風土記』を読んでます。

風土記は、 和銅6年(713年)元明天皇の詔により、諸国の産物・地形・古伝説や地名の由来などを記して撰進させたもの・・・

奈良時代にもので、地方別にその風土・文化その他について記した書物になります。

 

その播磨国揖保郡にある鼓山に関して次のような記載があり・・・

 

鼓山。昔、額田部連伊勢、 神人腹太文と相闘ひし時、鼓を打ち鳴らして闘ひき。故、号けて鼓山と曰ふ。

 

ここに神人腹太文なる人物が出てきます。

 

講談社学術文庫『播磨国風土記 全訳注』の注釈では、「腹太文」の読み方が判然としないが、『続日本紀』に「腹太得麻呂」なる人物がいるので、これを参考に「腹太」を姓にして「ふくた」、「文」を名として「あや」と仮に読んでおくにしたようです。

 

 

 

なお、「腹太得麻呂」なる人物について、以前に一度記事にしており・・・

 

こちらは講談社学術文庫『続日本紀 全現代語訳』(宇治谷孟)をもとに、「腹太得麻呂」を「はらふと とこまろ」として記事を書きました。

 

 

「腹太」氏・・・

はたして「はらふと」と読むのか・・・「ふくた」と読むのか・・・謎です。

なお、「腹太得麻呂」の記事に出した三重県松阪市腹太町の町名は「はらふと」のようです。

 

 

 

 

また、播磨国関連のことを取り扱っているサイトがありますが・・・

 
そちらでは、「腹太文」のことを「はらのおほふみ」と表しており・・・
こちらでは、姓を「腹」、名を「太文」としていました。
地元に「原」という地名が残っており、その元が「腹」氏だったのではないか・・・とのことです。
 
 
「腹太文」・・・「腹太・文」なのか、「腹・太文」なのか・・・謎です。
 
 
 
 
 
「腹太文」・・・謎なんですが・・・
文字から見たイメージ的に、賢いデブであって欲しいです。
 

 

 

でも、額田部連伊勢と闘うくらいの人物なので・・・

やっぱこんな感じか・・・