【か】亀戸(かめいど) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

亀戸・・・

東京都江東区北東部の地名、JR総武線および東武亀戸線の亀戸駅を中心とした地区。

かつては亀に似た形の島であったので亀島とよばれ、のちに陸続きとなって亀村と称した。

また、ここに亀ヶ井と呼ぶ古井戸があり、亀島、亀村と混じて地名となったと言われる。

江戸時代、亀戸天神で知られた。

 

 

 

 

 

前回に記事で、亀戸で飲んだことを書きましたが・・・

飲む前に、付近の神社を二社ほどご参拝してまいりました。

 

 

 

 

一つ目は、香取神社・・・通称亀戸香取神社です。

天智天皇4年(665年)に藤原鎌足が東国下向の際、この地・・・亀の島に船を寄せ、旅の安泰を祈り、香取神宮から分霊を勧請し、太刀一振を納めたのが始まりらしいです。

平将門が乱の際、追討使・藤原秀郷(俵藤太)はここで戦勝を祈願し、乱の平定後に神恩感謝として弓矢を奉納し、「勝矢」と命名してるそうです。

そんなこともあり、源頼朝、徳川家康などの武将や、塚原卜伝、千葉周作などの多くの武道家が篤く崇敬したそうです。

幟がチョット見づらいですが・・・

現在は「スポーツ振興の神」として、スポーツ関係者の参拝者が多く訪れているそうです。

 

 

 

この後、もう一つのご参拝先に向かいましたが・・・

その途中、東京スカイツリーがよく見えます。

 

 

 

もう一つのご参拝先に着きました。

正面からではなく、脇の参道からお参りになってしまいましましたが・・・

スカイツリーが、ますますよく見えます。

 

こちらは亀戸天神社です。

正保3年(1646年)九州太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐は神のお告げにより、神木・飛び梅の枝で天神(菅原道真)像を刻み、天神信仰を広めるため日光や盛岡などの諸国を巡り 、寛文元年(1661年)に江戸の本所亀戸村にたどり着き、村に元々あった天神の小祠に天神像を祀ったそうです。

その場所が幕府に収容されてしまい、現在の場所を代替地として与えられ、この地の鎮守としたのが始まりになるようです。

富岡八幡宮と並ぶ江戸の観光名所となり、多くの江戸市民が参詣しているそうです。

 

脇の参道からお参りしてしまいましたが、帰りは正面の鳥居へ・・・

その途中に太鼓橋(女橋)があり・・・

太鼓橋(男橋)があり・・・

鳥居からは太鼓橋(男橋)がよく見え・・・

やはりスカイツリーがよく見えます。

 

 

なお、亀戸天神の太鼓橋は有名らしく、浮世絵などでもよく描かれているそうです。

浮世絵って、よくディフォルメされるので、太鼓橋はここまで円くないだろうと思いましたが・・・

明治の頃の亀戸天神の太鼓橋は こんな感じだったようです。

・・・ものすごく円い。

 

 

 

 

 

<オマケ>

 

ゴッホが自身の作品中に、歌川広重の浮世絵を描いたものがありますが・・・

こちらは、亀戸の梅屋敷で、二つの神社から遠くないところにあったようです。